カテゴリー「社会制度」の19件の記事

終身雇用&年功序列は成立しないならば、何をすべきか?

【復活か 崩壊か “終身雇用”を問う】 NHK 2009年6月28日

終身雇用に関して、勝間和代, 湯浅誠,  森永卓郎が、緩く討論をします。

各氏の基本的な考え方です。
Bs (勝間) 終身雇用を維持することは不可能。 終身雇用を維持しようとして、正規社員のハードワーク、非正規の増大など様々な弊害が生まれている。
一方で正規社員にとって、終身雇用が既得権になっていて、これにしがみつく意識が、ますます終身雇用の弊害を拡大する

(湯浅) 終身雇用はもはやひとつの会社で提供するのは難しい
ただし、無期雇用を原則にしつつ、会社を渡り歩いて雇用が継続できるよう、社会(政府)が前提を整えるべき。
住宅、教育にお金がかかりすぎる現状を何とかしないと、終身雇用の既得権者は猛烈に反発するし、多くの人がやっていけなくなる

(森永) 終身雇用は、会社が強くなる源泉であるし、会社は雇用を守ることが社会的使命。 終身雇用は続けるべき
ただし、年功序列という給与体系でなく、稼いだ分に応じるような給与体系にして、終身雇用による人件費増大を防ぐべき

勝間さんは、「アメリカのように解雇を簡単にして、雇用の流動性をあげるべき。 古い産業から新しい産業へ人が動くということが、社会に必要。
政府は、その移動を、トレーニングや失業手当でバックアップすべき
」と主張します。
Bs_2 一方で、森永さんは、「解雇を簡単にすると、乱暴な経営者が安易に解雇してしまうリスクが非常に高く、解雇を簡単にする前に解雇されても大丈夫という安心感を得られる、政府の制度を作るべき」と、順番が大事と指摘します。

討論は、微妙に対立しているようでしたが、3人の主張は視点が違うものの、根っこは同じような気もしました。 その根っこですが、

・そもそも終身雇用とは、長期雇用、年功序列給与(給与右肩上がり+退職金)、新卒採用の3点セット
・しかし、企業の収益力が(中小企業を中心に)弱体化、一方で(大企業を中心に)利益の極大化が求められ、年功序列給与が財務的に耐えられなくなってきた
・そこで企業は、年功序列給与にあてはまらない、非正規雇用者を増加させて対応
・結果的に、終身雇用の周辺に、膨大な非正規雇用者を生み、年功序列の終身雇用者vs給与が上がらない非正規雇用者の対立関係ができあがった
・終身雇用制度を守り続けると、このような状況が続くので、今までの終身雇用制度は続かない

Bs_3 ・そこで、(勝間)解雇を簡単にして、雇用を流動化せよ→正規vs非正規の対立がなくなる、(湯浅)転職が増えるので、失業時の体制を、社会(政府)で手厚く構築せよ、(森永)年功序列給与自体を辞めてしまえ、そうすれば雇用は続けられる
という提案が出てくるわけです。

それぞれ、その通りだと思います。
中小企業では、現実に対応せざるを得ず、年功序列給与は崩壊しています。 多くの社員で40過ぎで給与が止まっています。
森永さんの内容が、現実的に起こっているわけです。
(だから、大学生や住宅ローンを抱えた40代後半から50代前半の、中小企業勤務サラリーマンは本当に大変です)

終身雇用は、単独で存在する制度でなく、様々な制度と絡み合っているので、他の制度も変えなくては、軟着陸できません。

同じ仕事ならば、同じ給与という原則とし、正規と非正規の格差をなくす (→非正規の給与があがり、正規の給与が下がります)
・結果的に、40代50代の給与が落ち込んでくるので、教育コストを下げるべく、高校や大学の費用を社会で大きく負担する方向にする
(必然的に、所得に関係なく、多くの子供が学びの機会を得る)
・失業時の支援体制を厚くする (ジョブトレーニングと失業手当)
・最後に、解雇をもっとやりやすくする (法的に、解雇の合理的な理由を明確にしてあげる)、結果的に流動性が上がる(=企業経営がしやすくなる)

ということになるのだと思います。
この考え方は、社会全体には良いインパクトがあると思いますが、終身雇用の既得権者には、マイナスのインパクトです。
しかし、大企業も、(収益性の弱いところを中心に)既に年功序列給与がどんどん崩壊しています。

ちなみに、終身雇用&年功序列がばっちり残っているのは、実は400万人の公務員の世界と、補助金で成立している特殊法人(天下り団体)です。
(この400万人には、民営化された郵政30万人も含みます)
400万人の給与は、福利厚生を含めて、推定で約36兆円から40兆円。 2割カットで7兆円から8兆円の財源です、笑。

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地方を奴隷にする仕組み

【土居丈朗 地方を奴隷にする仕組み】 日経ヴェリタス 2009.6.14

Photo地方財政の若手第一人者、土居先生(なんと38歳!)の、橋下知事応援論文です。 (本人には、そんな意図がないかもしれませんが)

地方は、構造的に国の奴隷になるように仕組まれていると、指摘しています。
土居先生は、上品に「貧困の罠」という学術用語を使っていますが、要は、「地方は必然的に奴隷になる」制度があるということを指摘しています。

その仕組みの根幹は、「地方交付税」。 自治体の運営に最低限必要な金額と、自治体が自主的に集められる税金の差額を、国が負担する仕組みです。
「最低限の自治体運営費用は、国が何とかします」という、地域の経済格差を埋め合わせる、税の分配制度です。

一見良い制度ですが、実は、そこに「地方を奴隷化する」仕組みが組み込まれていると言います。
つまり、税収を増やすために一生懸命活動しても、税収が増えた分、地方交付税がカットされ、結局総額はほとんど変わらないという仕組みなので、わざわざ税収を増やすというインセンティブが働かないと指摘します。
(ちなみに、地方交付税なしの自治体は、ほんのわずかしかありません。 東京都、豊田市、武蔵野市など。
こういった自治体は、税収が増えれば、総額も増えます)

逆に、町が衰退し、税収がどんどん落ちても、交付税が増額されるので、これまた総額はあまり変わらないという事実。
交付税のお陰で、事態が深刻化しないので、衰退の流れを止めようという動きが本格化しないという悪循環。

まとめると、
・地方交付税は、最後は、国がなんとかするという、後ろ支え
・したがって、気概のある市長でないと、「最後は何とかなるさ」と、国への依存体質に陥る
・依存体質とは、つまり、気持の底から、「国に従う」という、奴隷マインドということ
・自治体運営の「やる気」を削ぐし、「危機感」も生まれない
自ら何かをやるということを発想しない思考停止を作り、困ったら頼るという依存体質を生むのが、まさに地方交付税の仕組み → 地方を、気持ちの部分から奴隷にする仕組み
ということでしょうか。

この地方交付税の仕組みを変えようと、地方分権改革推進委員会(委員長 丹羽宇一郎)が、秋をメドに改革案を作成中とのこと。 どうなるか?

日本全体はこれ以上借金もできないし、経済成長もないので、総額は絶対に増えない。
地方分権といっても、国税が地方税に振りかわるだけで総額は増えない。
となると、パイの取り合いになるので、地方交付税の改革は、自治体間のパイの取り合いという、壮烈な自治体戦争になります。
財源の8割以上を交付税に頼っている地方の自治体は、もう死活問題です。
橋下知事や、東国原知事のおかげで、地方自治がスポットライトを浴び始めましたが、議論を進めると、壮絶な議論になると思います。

自治体運営には、もちろんカネが必要です。 しかし、カネはあまりない。
となると、ソフト、つまり、効率的な運営方法で勝負するしかありません。
それから、今まで使っていた予算をスクラップして、違う部分に振り向けるというやり方を、過激にやるしかありません。

これからの市長(知事)は、
・運営方法というソフトで勝負する組織運営ができるか
・今までの延長線でなく、ゼロベースで予算を組み替えることができるか

という、新しい能力が必要です。 本当に。

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増税を訴えるには、政治家に対する、「市民の信用」が必要

【社会と家族が一緒で支える介護】 NHK 福祉ネットワーク 2009年6月10日

教育テレビの平日午後8時からやっている「福祉ネットワーク」という30分番組は、地味ながら、社会的弱者にスポットをあてる、NHKらしい良質の番組です。

6月10日、11日と二日にわたって、介護保険制度10年の総括番組をやっています。 初日は、
・「誰にでもサービスを受けられる」はずが、東京ではサービス(例えばデイやショートステイ)が足りずに、受けられずに、介護者の苦労があまり軽減されていないという事実と、
(儲からないから、事業者が介護サービスに参入しない。 しかも、今までの2回の報酬改定は、2回ともマイナス。 普通は参入しようという動機さえない)
・介護度が重い状態で、在宅の介護サービスを受けると、介護保険限度額を大きく越え、とてつもない自己負担が発生するという事実
を指摘しています。

要は、家族ではなく、社会で介護するという考え方で介護保険がスタートしたのに、社会で見切れていない介護がまだまだたくさんあるぞ!という指摘です。

ゲストには、厚生省の介護保険設計のメンバーのひとりである、堤修三教授が出ていたのですが、彼のは、このNHKの指摘に、
もともと、社会がすべて制度として面倒みるというわけではなく、家族と一緒に介護をしていくということで、介護保険自体に大きな期待をしないでもらいたい
と、なんともストレートな発言が出てきました。 (ちなみに、堤教授は、10年くらい前の社保庁の長官。これだけ年金業務のいい加減さが指摘されているのに、よくも番組出てこられたなぁ)

「まだまだ完璧でないので、これからもっと充実が必要ですね」という、建前発言をしないで、制度設計側の本音が出た感じです。
設計者から見れば、「すべて「社会が見る」というのは、現状の保険料では無理。
理念上、社会で介護するといったが、実務的には、家族と制度で支えるというのは、全然おかしくないでしょう」という気持ちだと思います。

しかし、ゲストのもう一人である、訪問介護事業者のリーダーは、
その介護をしてくれる家族がいない世帯が、どんどん増えており、家族と制度で言うけれど、その家族自体がない場合は、どうすれば良いのか。
そういった家族形態の変化も踏まえて、介護を社会で、ということではないのか?
と、まさに論理的に切り返していて、議論の軍配は、NPOリーダーに上がった感じです。

厚生省の元役人は、たぶん自覚的に、中途半端な状態で、介護保険をスタートさせたと思います。
・介護を社会で全面的に引き受けたら、絶対に今の財源では成立しない
・一方で、財源確保の増税も絶対に無理
・介護を社会で一部引き受け、一部は家族で踏ん張ってもらうという、微妙なところで介護保険をスタートせざるを得ない
・それでも、ないよりは絶対にまし。 時間が経ってから、修正をかければ良い
たぶん、こんな感じでしょうか? スタートの時点では、悪くない段階論だと思います。
しかし、その後の軌道修正を誰も引き継がずに、単純に「お金がない」という議論に終始してしまいました。
そこに、日本の政治家、官僚のいい加減さが見えてきます。

介護、医療は、社会で全面的に受け入れざるをえません。 そのためには、財源の確保、つまり増税は必須です。
「必要な行政サービスだから増税をする」と政治的な提案をしても受け入れられる、まともで誠実な政治家がいないことが、日本の悲劇です。
現状では、「お前の言うことは信用できない」ということになってしまいます。
しがらみのない、貧乏で、若い政治家が主流派になるしかありません。

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「かんぽの宿」問題の背景に、公務員の高い給与がある

【鳩山総務相、辞任】 2009年6月12日

Photo 鳩山総務相が、麻生首相の「西川社長続投」の判断に、抗議の意味をこめて、総務大臣を辞任したとのこと。
本人は、「正しいことを通す」という道理を辞任理由にしていますが、確かに「西川社長」に社長としての責任はあると思いますが、本人が直接関与した案件でもないので、辞任まで追い込むのは、筋というより、鳩山さんのメンツの問題のように見えてしまいます。

個人的には、そのメンツの背景を知りたいところですが、ニュースは、すぐに政局の話に結びつけるでしょう。
ひょっとしたら、鳩山さんが自民党を出る機会として、利用したのかもしれないので、確かに政局の話に結び付けても良いとは思いますが、そこまで鳩山さんが計画的に動いているとは、ちと思えない、笑。

いずれにせよ、「かんぽの宿」売却問題は、私もニュースと数名の評論家のコメントだけのソースなので、事実の理解はいまいちです。
したがって、断定的には言えないのですが、山崎元さんの分析を前提とすると、

・国が100%の株式をもつ会社の資産売却の割には、売却プロセスがちょっと雑
・できる限りオープンであることが必須なのに、出来レースといわれておかしくない、雑な手続き

ということで、日本郵政に問題あり。
したがって、社長に対する指導、改善要求は当然ということだと思います。これでおしまいでいいと思いますが、鳩山さんは辞任までこだわりました。
その意味はいったい何か。 メンツなのか、他に意味があるのか。 これからはっきりしますね。

それよりも、山崎さんが指摘しているとおり、かんぽの宿の売却条件が、「できる限り、従業員の雇用を継続する」という、厳しいものであったことが、間違いなく売却価格が下がった、大きな要因だと思います。

ホテル旅館業界における民間の給与水準からかけ離れた水準の給与、(おそらく)民間の水準より多い従業員数という、業界の水準よりも、はるかに高い人件費率が、かんぽの宿の収益性が低い理由です
(これは、公立病院、保育園、清掃など、官営と民間の両方が存在する業界で、必ず見られる構造です)

この高コスト構造を残して、再生をはかるわけですから、買う方は厳しく値踏みをするのは当然です。物件自体に価値があっても、重い人件費を背負うわけですから、購入金額は下がります。

成長が鈍化したため、年功序列給与は大企業や業績の良い会社をのぞいて破綻しています。
民間のサラリーマンは、出世街道を上がらない限り、長く勤めても、40代以降給与がほとんど上がらない体系になっています。
昔のように、定年まであがり続けるということはなくなりました。
また、サービス系の業界では、非正規社員比率が高く、低コスト構造の、消耗合戦が繰り広げられています。

でも、公務員は上がります。 だから、官営と民間では、人件費率で圧倒的な違いが出ます。
この公務員の給与体系を抜本的に改革することが、実は財源問題の根幹だったりします。 でも、法律で守られており、それが難しい。
その法律を改正する勇気が、政治家にあるでしょうか。

夕張みたいに、破綻するまで、公務員の給与は上がり続けるのでしょうか?

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天下り団体が、税金をパクパク

【天下り団体の病巣】 2009年6月11日 読売新聞

副会長の6.5億近くの不正支出(使い込み)で、天下り団体「社団法人日本農村情報システム協会」が自己破産することになりました。
このニュースに出てくる副会長を調べてみると、「天下りのうまみ」が見えてきたという感じの記事です。

この副会長は、給与として、その社団から年1000万円、社団が(随意)発注する団体から給与として年1200万の合計2200万の給与を取っていたことが判明。
実は、この副会長だけでなく、他の理事も、この構造。 つまり、社団からの給与と、社団が発注する団体からの給与のダブル給与

これは酷くないですか? 合法的な税金のネコババです。

この社団の業務は、防災無線のコンサル業務ですが、防災無線の補助金をもらう時は、市町村はお約束で、この社団にコンサルをお願いすることになっていたとのこと。
さすがに、「ひも付き補助事業」と批判され、97年に終了したものの、1億から2億円が、補助金の中から、「コンサル報酬」として、この社団に流れていたとのこと。
(しかも、コンサルは、専門民間会社に丸投げですか?)

ただし、じわりじわりと業務収入が減り、しかし官僚OBに対するダブル給与は減らずに、結果的に、社団の基本財産(株式会社の資本金にあたるもの。
もともとは税金)を食いつぶして、不正経理を続けて隠していたが、いよいよ判明というのがニュースの背景みたいです。

農水省も、経理で不正をしていたので見抜けなかったとしていますが、期末の通帳と帳簿を合わせるだけで、この程度の不正は一発で見抜けますから、要は、「何もチェックしていない」ということ
(それくらいの突っ込みは、記者さん、やってくださいね)

このニュースは、あまりに酷い事例ですが、でも、本質的には、官僚の悪知恵的、無駄遣いがベースになっているのだと思います。

・税金(基本財産と毎年の収入)で成立している天下り団体が山のようにあって、
・その業務も、いい加減なものばかり
・しかも、チェックはない状態で、不正をやろうと思えばやり放題
・あまりに乱暴。 数億円くらいの事業では、こういう事例は山のようにある、きっと
。(数千億円の予算規模では、数億の事業は小さく、あまり注目を浴びないし、監査もいい加減)

すべての事業を、ゼロベースで見直す、つまり「事業仕分け」をやらないと、この国は、官僚という寄生虫に少しずつ息の根を止められていきます。
実は、その官僚にさらに寄生しているのが、自民党の古いタイプの政治家だったりして、笑。

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中途半端な、介護行政

【低所得の高齢者の住居がない 田村明孝】 読売新聞 2009年6月2日

民間、つまり事業の視点で、高齢者の住居についてインタビューに答えています。(田村氏は、高齢者向けの施設建設(老人ホームなど)のコンサルタント)

田村氏の主張をまとめると、
・高齢者がどんどん増え、特養の入居待ちが38万人もいるのに、介護を必要とする高齢者向けの施設の建設が全然進んでいない
特に、低所得で、子供による介護を受けられない高齢者を中心に、生き場のないヒトが増える
・これからは、施設でなく、住宅中心で整備すべき (住宅とは、介護を想定した一般住宅。介護サービスは家で受けるような形で利用する。 (介護付)老人ホームは、介護がセットになった施設)
・その住宅の質には、行政が介入し、改善指導を行えるようにすべし
・ただし、要介護度が上がり、家族のような生活支援がないと、在宅の介護サービスを多く使うので、あっという間に限度額を超えてしまう問題がある
・現在の行政は、とにかく介護保険料を大きくしないように、介護サービス自体を抑制しようとしている。本来の必要なサービス量を無視している。 財政ありきで、介護サービス量を決めている
・被介護者に、家族のような生活支援を行う互助組織(ご近所ネットワーク)があれば、在宅の介護サービス量は抑えられるはず

介護保険は、介護する人の過酷な介護疲れから開放することを目的として作られた制度で、いわゆる「家族にすべてを負わすのでなく、社会で介護体制を作っていく」制度なのです。

しかし、現状は、極めて中途半端になってしまっています。 

介護度の高いヒトは増え、また支える家族がいない、あるいは高齢化しており、家族による介護力自体も弱体化しています。 となると、必然的に、介護の面倒を一日中見る施設が必要になってくるのですが、最近は完全に建設の勢いが衰えています

なぜなら、施設サービスの利用料は、高いので、施設がどんどん増えると、介護保険の利用額がどんどん高くなり、結果として、財政負担が増え、また住民の介護保険料も劇的に上がってしまいます。 これが政治的に許されないので、本当は必要なサービスなのに、介護施設の建設のペースを遅くしています。 つまり、補助金を減らしたり、(都道府県が)建築認可をしなかったりします。

社会で支えようと決めたのに、結構お金がかかるので、ちょっとお茶を濁して、結果的に、介護サービスを十分に受けられず、介護疲れで倒れそうなヒトが山のようにいるという、何とも酷い状況なのです。

その酷い状況を、、政治家はきちんと話題にして、向き合え!というのが田村氏の最後の主張です。その状況を突破にする手段として、田村氏のような、高齢者向け専用住宅がいいのか、現状の特養のようなものがいいのか、それは検討すべきですが、まずもって、必要な介護サービスが全く足りていないし、それを解決するには、さらなる介護保険料の値上げが必要という課題を、もっと盛り上げる必要があると思います。

今年3月の渋川市の無認可老人ホーム(つまり、単なる高齢者向け住居扱いで、介護サービスを実施)の火災事件は、こういう問題の一端です。 ホームの運営がいい加減、管理を怠った行政が悪いみたいなトーンのニュースが多く、本質的な問題に触れたのは、ブログメディア中心です。 このような象徴的なニュースの意味合いを、しっかり解説できる議員、政党が出てきてほしい。

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介護労働者の給与が低いのは、なぜ?

【高木博史 介護労働者問題はなぜ語られなかったか】 本の泉社 2008年12月20日

介護の現場を数年経験して、その後大学院→沖縄大学助教授というキャリアに興味を持って、アマゾンで購入した本です。 現場とアカデミックの両方を経験した方が、介護労働の現場をどう語るのか、大変興味がありました。

しかし、びっくりするくらい、分析の視点が弱い、まるでエッセイ本です。薄い本なので、分量自体の制限があるにせよ、学者の自負があるならば、もう少し、アカデミックな分析ができないのかと嘆いてしまうほどです。

最初は著者の懺悔というか、言い訳から始まります。 「介護の現場から、アカデミックへ逃げた」という指摘に、非常につらいと素直に語ります。 賃金が高く、労働環境も良いアカデミックと比べると、介護の現場は、あまりに「仕事の割に賃金が低い」と認めます。 逆に、この感情こそ、介護の現場環境の悪さを、社会的に問うべきという使命感に駆られたとも言っています。 これは、素晴らしい出発点だと思います。一時的には逃げた形になったとしても、10年後、現場ではできなかったことをアカデミックの立場からやり遂げれば良いと思います。

さて、「では、なぜ介護の現場の賃金は安いのか(労働条件は悪いのか)」という、本質的な問題に切り込むのですが、「福祉=ボランティア精神」という社会的認識があるから、「介護職の専門性」に対して、社会的レスペクトが弱いから、「労働組合」がなく、悪条件を連帯して変えられないからといった内容が並びます。

確かにある意味本質を突いているかもしれませんが、その社会認識に影響を受けながら出来上がった「制度」の構造的問題こそが、目先の本質的な問題です。 この部分が、ずっぽり落ちています。 それは経済学者がやるべき内容だと思っているのでしょうか?

老人ホーム経営をやっているワタミの社長が、新聞のインタビューで答えていましたが、「訪問介護ビジネスは儲からず、民間として成立しにくい」、「ホーム運営の、最初の入所金が儲けの源泉。 毎月もらう、生活費や介護費用では、ほとんど儲からない」と。

この辺を、アカデミックに分析してもらいたいです。 
介護福祉士の1日あたりの(余裕を持った)訪問件数と、その訪問件数に対する平均的な介護点数から、労働分配率が現実的にどうなのか? 例えば、約4000円の身体介護と、約2000円の生活援助が、合計1日6件であるならば、平均2万円前後の介護報酬を稼ぐとすると、どれくらいの労働分配率なのか? 
こういった分析を通して、そもそもの介護報酬額(国が決めた介護単位数)が低いのか、それとも介護事業の労働分配率が、何らかの理由で低いのか、あるいは、経営上の問題で、介護福祉士一人当たりの売上自体が低いのか等、この分析からスタートしないと、全体の納得感を得ることはできないでしょう。

確かに、いろいろなケースがあるので、一般化するのは難しいと思いますが、それを何とかするのが、アカデミック部門のヒトの仕事です。 本を拝見する限り、前向きで誠実な感じの方です。 まだ、お若いようなので、数年後を期待します。

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知事選挙が終わりました

Photo 知事選挙が終わりました。 新聞社の出口調査から、票の流れを推測してみましょう。

上位3人で約200万票で、森田102万、吉田64万、白石35万です。
支持政党が完全に決まっている、あるいはだいたい決まっているという基礎票は、自民で40万前後、民主で40万前後、公明で25万くらいと想定され、そうなると、支持政党特になしという無党派がおよそ100万票集まったという感じです
(ちなみに、今回は投票率45%、投票率1%で5万票です)

この無党派をどれだけ取るかで、勝負が決まるのですが、通常の国政選挙では、45から50%民主党が取ります。 しかし、毎日の出口調査によると、今回の知事選挙では、森田が45%取り、民主党の吉田は24%。 この時点で、20万票の差です。

今回、自民が森田、白石と、2つの支持に割れたのですが、北西自民議員の支持が多かった森田が結局、知名度の良さも生かして、自民(保守)基礎票の7割以上をおさえ、白石はわずか2割弱と、予想以上に基礎票が森田に集中しました。 無党派と基礎票で森田80万票以上と、この時点で勝負ありです

しかも、今回、民主の基礎票さえも、3割弱が森田に流れたそうで、これで森田100万票達成です。

白石は、公明の基礎票で8割程度、自民基礎票2割弱、無党派1割強と、完全に公明だけで終わりました。 これは予想を下回るくらい、酷い数字です。 森田の芸能人パワーに、「明るいオバサン」はキャラかぶりで、完全に埋没してしまったんですね。 森田の「明るい」「元気」イメージが強烈なので、完敗でしたね。 勉強になります。

ということで、森田県政が始まります。
官僚天国でしょうね。 森田は悪い人では決してないのですが、組織運営のキャリアがまったくないので、身近にいいスタッフがつかないでしょう。 おそらく「イエスマン」と、「良い人だけど仕事が仕切れない」スタッフが集まるだけです。

ということで、官僚の現状維持と保身の行政運営と、自民の陳情政治という、ごくごく普通の日本型行政になるのは間違いないでしょう。 
森田の関心のある分野(大きなイベント、警察、表面的な教育)は、それなりの動きがあると思いますが、医療、介護、本質的な教育問題、弱者支援という、最も大きな転換が求められている部分は、ほとんど進化がないというか、場つなぎの運営で終わるでしょう。 大事な分野で、停滞の4年が始まります。 堂本が頑張った環境関連(=アンチ開発)も、マスコミが取り上げないと、ズルズルともとに戻っていくかもしれません。

これが豊かな時代の民主主義です。 大きな不満がなくて、(体制を疑うという)教養もなければ、投票行動(政治活動)に時間を使うより、自らの幸せや楽しみのために時間を使う方が合理的です。 そうなると、投票基準はイメージです。 しかし、イメージと中身は違うのは、ごくごく想像できることだと思います。

いつまで続くのでしょうか。 

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脆弱な「善意の連鎖」

【悪意の連鎖、善意の連鎖】 映画 ダークナイト アメリカ・ワーナーブラザーズ

Dark_knight 公開から遅れること半年以上、ようやくDVDで見ました。 評判の通り、傑作です。 社会的な視点と、娯楽性を見事に融合させた、考えさせるし、一方で映像とシナリオに引き寄せられるという、あっという間の2時間半。 これは、テレビでなく、スクリーンで見たかったと、本当に後悔です。

娯楽性のコメントは抜きにして、社会的な視点を書きます。
基本的には、善のバットマンvs悪のジョーカーの対立というストーリーなのですが、ジョーカーは単なる悪でないところに、この映画の深みがあります。

ジョーカーは、「ヒトには『利己性をベースにした悪意』という本質があるのに、その本質にあらがおうとする、ヒトの善意っぽいもの(利他性)」を、徹底的にこけ落とします。 そして、ヒトの善意っぽいものをおいやって、悪意を引き出すことに、執念を燃やします。

そう、放っておけば、ヒトは好き勝手やるのに、ヒトは何とかルールを守って、そして社会が回っている現状が、どうしても好きになれないのがジョーカー。 その秩序と平穏は奇跡であると。 奇跡ゆえに、脆弱でもあり、ちょっとひと押しすれば、ヒトの悪意の連鎖を呼び、秩序と平穏は一気に崩壊するはずで、そのひと押しをして、悪意の連鎖が巻き起こるのが、楽しくてしょうがないというのが、ジョーカーです。

普通の悪は、「お金が欲しい」からルールを破るという、単純な欲望がベースで、ある意味、わかりやすい悪ですが、今度のジョーカーは、ジョーカーの発言や仕掛けを通して、誰もが持っていて、自分の中で封印されている「悪意」を見つめるように、仕向けます。 ここに、この映画の凄味があります。

そして、そのジョーカーの存在によって、バットマンが守ろうとする、ちょっとしたきっかけで壊れてしまう、脆弱な「(極論を言えば、他人のために死ねことも選択できる)ヒトの善意」がフューチャーされます。 

ジョーカーの考える通り、ヒトは悪意を抱えているが、それを善意でコントールしているのも事実。 そして、善意は脆弱で、「お互いがお互いを信頼している」という、際どい前提で、その善意の連鎖が起こって、社会が回っているのも事実

その吹けば飛びそうな、「善意の連鎖」を、必死に守り続けようと、意識的に振舞うのが、バットマンです。ジョーカーを通して、自分の悪意に向き合わせ、バットマンを通して、脆弱な「善意の連鎖」を意識させるという、極めて高度な内容を入れ込んだ、素晴らしいシナリオです。

バットマンは、自分が捨て石になっても、その「善意の連鎖」を守ろうとします。 

政治家は、自分が捨て石になっても、社会を支える「善意の連鎖」を守ろうとする気概はあるのか? エリートは、それくらいの使命感に自覚的であるべしというのが、映画の(政治家に対する)メッセージのような気がします。

社会は、ルールと制度で回っているのですが、そのルールと制度が成立する前提に、「お互いの信頼」「善意の連鎖」があるのです。 その信頼、連鎖を成立させるには、どうすべきなのか、これこそが、本質的な政治論だと思います。 まぁ、票にはなりませんが、エリートは、そこまで考えて、社会のルール、制度を設計すべきです。

難しい話ばかりしていますが、娯楽性の部分も素晴らしいです。 
そして、ジョーカー役の、ヒース・レジャーが作りだす「ジョーカーの世界観」が、不気味でありつつ、引き込まれそうなインパクトを持ち、これだけで、映画にのめり込み可能です。

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公務員の給与水準は、いかにあるべきか?

【いろいろ理由をつけて、やりたい放題】読売新聞 2008年12月17日

日本貿易振興機構や都市再生機構など、メジャーな独立法人が、勝手に手当(食事手当)を作って、職員の給与を底上げしていたというニュースです。 会計検査院の調査結果を、新聞各社がそのまま報道しています。(こういうのは、記者か、政治家によってあばいてもらいたいものです。)

その理由は、「管轄する霞ヶ関の役所には、安い社食があるのに、自分たちには食堂がなくて、不公平だから」だそうです。ならば、「納税者の7割が所属する中小企業並みの、手当や退職金」にしてもらいたいものです。
この手当は、法律的にもNGですが、常識的にもNGです。 こういうことを堂々とやってしまうあたりが、やっぱり公務員の感覚は、ずれているのかなぁ?

「見つかるまでやってしまおう」という確信犯なのか、「え、ダメなの?」という世間知らずなのか?

公務員(および税金で成立している独立行政法人)の給与はどれくらいであるべきか?という、永遠のテーマがあります。
民間の中小企業以上の給与水準に準じるように算定されているようですが、その中身はブラックボックスです。 世の中の中小企業の社員から見れば、「そんなにもらっているとは思えない」水準だと思います。 とんでもない「計算のカラクリ」があるような気がしますが。

この辺を、正面から分析してもらいたいのですが、自民党は役人の協力が欲しいからノータッチだし、民主党も、役人労働組合から支持をもらっているので、ノータッチと、誰も分析するヒトがおりません。
(ちなみに、補助金で成り立っている学者にとっても、アンタッチャブルな内容です)

マスコミしかおりません。 読売新聞さん、頑張って。 って、無理か、笑。自分でやるしかないかな。

個人的には、公務員の給与水準は現状くらいでいいと思います。 ある程度高いことによって、気持ちに余裕をもって仕事ができます。 結局、仕事内容が給与に見合っていないというのが、現状だと思います。 牽制機能が働いていないので、いつの間にか、自分たちが自分たちで仕事内容を決める形になってしまっているのだと思います。 そうならば、普通、「自分たちにとって、都合の良い」仕事、仕組み、内容になるのは当然です。

公務員の仕事は何か、それはしっかり行われているかということを、行政組織の外側で明確にしない限り、行政が勝手に自分の仕事を、都合良く決めてしまうわけです。

それをするのが、政治家(議会や組長)なのですが、全然やっていないというか、そもそも、そのような意識もないし。 仕事は、「支持団体にとってプラスになることを合法的に作り出す」と、真面目に思っている政治家も多いし。 

公務員、つまり「公」の仕事は何か、それをどうやって達成するか、そういったテクニカルな運営哲学が、政治家には必要だと思います。 そういったことを語れる政治家になりたいものです。

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貧困にさらされた子供は、問答無用に社会は助けるべき

【貧困にさらされた子供の将来】週刊東洋経済 2008.10.25

Jpgちょっと古い号ですが、週刊東洋経済が「家族崩壊」というタイトルで、社会的問題を網羅的に特集しています。 社会を構成する基本ユニットの「家族」を取り巻く環境が、どんどんひどくなっているという指摘です。

特集では、「家族崩壊」をいくつかの切り口で指摘しています。
1.経済的に厳しい水準で、それが構造的になりつつある(ずっと、低所得ということ)
2.働く環境も、実は悪くなっている(低所得なのに、長時間労働)
3.経済的にきついから、子供を産まないという、構造的「少子化」
4.兄弟や親せきが減り、かつ親子の縁も弱くなり、親族間の助け合いがないまま、高齢者世帯が孤立化(社会で助け合うので、たいへんなコスト増)

それぞれに、事例と数的なバックアップ資料を挙げて、気合いの入った特集です。 雑誌なので、結論ありきで、事例を並べているという側面が強いですが、笑。
ただ、経済誌ゆえに、家族崩壊を経済的な側面、つまり所得や労働環境に置き過ぎていて、社会構造の変化に伴う個人や家族自体の変化、例えば核家族化、学校化、パーソナル化、社会流動性の高まり、幸福観の多様化といった面については、ノータッチです。
しかし、それでも、良い企画だと思います。 社会問題として特集をやるあたりは、編集部の良心を感じます。

国税庁の民間給与調査によると、年間300万以下の給与の人が1700万人います。 若い人ならば、やっていける水準ですが、世帯持ちでは、なかなか厳しい水準です。 この部分が「構造化」、つまり将来も変わらない状況になっているのでは?という指摘がスタートです。 いわゆる「ワーキングプア」、昇給がない、ボーナスがほとんどない給与構造です。

そして、その貧困が導く、具体的な問題として(経済的な不安からくる)少子化、貧困の悪循環、子供虐待、貧困家庭の子供の学力低下を取り上げています
そもそも「貧困とは何か」という、極めて難しい話は別エントリーを参照してもらうとして、貧困によって起こる「精神的なゆとりのなさ」、「学ぶ機会の減少」は、貧困の悪循環を引き起こすのに十分です。 『所得の低さ→余裕のなさ→尊厳を確保できない→前向きな行動ができない→現状に閉じこもる→所得の低いまま→尊厳は確保できない』という悪循環です。

貧困にさらされる子供を社会で助けないと、悪玉のバランスに傾いた大人が成長する可能性が高く(犯罪を起こす可能性が高まる)、それが結果的に「社会の管理化」を強化し、「不安でびくびく」して、「取り締まりや更生(刑務所)のコスト」がかかるという社会に突入してしまうのでは?と問題提起しています。

貧困の問題は本当に複雑です。
しかし、貧困にさらされた子供は社会で助ける必要があることは、ほぼ間違いないでしょう。 親との関係の中でどう助けるのか?という問題もありますが、少なくとも、親から切り離される子供は、社会で助ける体制を持つべきでしょう。 児童相談所の方が言うには、物理的に体制が整っていないとのこと。 票にはなりませんが、政治家の方、行政の偉い方には、「どういう社会であるべきか」という大局にたって、この問題に対して向き合う必要があると思います。

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認知症 社会の新しい課題

大きな病気、障害、経済的困窮は、誰にでも「起こりうる」大きな問題です。 本人、あるいは家族がそうなってしまったら、大きな金銭的、物理的負担が生じます。 それで、生活が追い詰められるのは不幸であるということで、万が一そうなっても、社会全体で支えていきましょうというのが、近代国家の意義です。 

・病気になっても経済的に破綻しないようにする → 医療保険制度
・障害になっても、できる限り普通に生活ができるようにする → 障害者への各種支援
・加齢に伴う障害をもった高齢者の生活を面倒見る → 介護保険制度
・何らかの理由で経済的に困窮する → 生活保護

こういった問題に該当するヒトの割合が増えてくると、皆の負担も増えていきます。 ここに、現在の日本の社会運営の難しさがあります。 

ただ、おそらくその負担は納得してもらえるはずです。 しかし、行政を中心にした運営側が誠実にやっているという前提つきです。 現状は「誠実にやっていないのでは?」という疑心状態です。 市民側の行政に対する疑心、行政側のその無自覚という、大きな溝があるのが現状で、誰かがその橋渡しをする必要があります。 政治家しかおりません。

さて、上記のような、「社会で支えなくてはならないヒト」のうち、もっとも増加するのが高齢者(医療、介護)で、激増に近い状態です。 特に増加するのが、75歳以上で、2005年には1000万人強だったのが、20年後には2000万人を越えます

高齢者は一般にリタイアする65歳以上とされていますが、まだ健康そのものの方が多く、社会で支える必要が出てくるのは、75歳以上高齢者です。
医療費も65歳以下は22万円前後ですが、75歳以上はひとりあたり80万円以上です。
また、介護の方も、74歳までは要介護で3.3%ですが、75歳以上になると21.4%です。

この激増の一方で、働く人口は減っていく。(20歳以上64歳以下人口が2005年7800万人、2025年で6600万人) この見通しに対して、これから10年間どういう手を打つのかが、まさに政治の仕事になります。

そして、この75歳以上高齢者の激増で、大きな社会問題になるのが、認知症高齢者の激増と、単身世帯高齢者の激増です。 今回は、認知症を取り上げます。

認知症は、脳の機能障害が起こり、知能が低下し、通常の社会生活が困難になる症状です。 重い症状では、通常のコミュニケーションが成立せず、また、徘徊や妄想、異常行動もあり、支える家族には極めて負担の大きいものです。(身内だけに何とかしたいと思うが、何もできないし、コミュニケーションが成立しないという絶望感で、精神的に疲労する)

若年性はドラマでも取り上げられますが、人数としては小さく(ゆえに、社会的なサポートを得にくいという問題がありますが)、多いのは高齢者です。特に75歳以上で症状を持つ割合が増えます。 
「認知症」であるという症状の確定が難しく、正確な統計がないのですが、200万人弱で、65歳以上人口の8%くらい(2500万人×8%=200万)と言われています。

しかし、年齢ごとに発症割合はあがり、80代前半で15%、80代後半で27%と言われ、高齢の高齢者が増える今後は、認知症患者は激増します。 
75歳以上人口が2000万人を超える2025年には、350万から400万人くらいになるかもしれません。 (いろいろな推計データがあります)

確かに、この人数には軽度、重度がありますが、「認知症」と診断されれば、通常の社会生活はかなり難しくなってきます。 この難しいヒトが、300万人以上、すごい人数です。 二人を一人を支えても、ヘルパーで150万人必要。 ヘルパーの給与が年間250万円だとしても、年間3.75兆円です。 (実は、大きな公共事業。 あとは意識的に高い単価を設定すれば参入業者が増え、建設関連に変わる大きな事業になります。 ただし、規模は、高齢者の人数に比例するので、地方への経済効果は小さくなってしまいます。 ダムや無駄な道路を作るほどの経済インパクトはありません

認知症の方を支えることは、かなり心理的に負担が重いものです。
認知症の方とは、普段のコミュニケーションが成立しません。 知能障害があるからです。 また、認知症の方には、通常の「相手を考える」という意識が低くなり、「自分の感情」のまま活動するようになり、まるで大きな子供です。 身内のヒトは、昔の状態を知っているだけに、「その落差」に落胆するし、相手に振り回されるだけで、感謝のかけらもない、大きな子供のお世話に疲弊するのです。

だから、社会で対応しようとしたのですが、人数があまりに増えていくると、社会的にも経済負担が大きくなってきました。 しかし、それでも対応すべきなのです。
政治的な大胆な投資決定と、現場におけるイノベーションが明らかに必要です。

それを、貪欲にする人が少ないかもしれません。 特に、政治家に。

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障害者に対して、社会は何をすべきか?

【障害者自立支援法の課題】 朝日新聞 2008.10.8&9

障害者は、社会的に弱者であるから、近代国家は障害者を助けるべしというのは、誰も異論のないところ。 しかし、どう助けるのか、どれくらい助けるのかといった、具体的な方法になると、議論は噴出し、まさに大同小異状態。

障害者向けの行政サポートは、障害ごとの縦割り&画一的支援から、障害者であれば、誰もが自由にサポートメニューを選択できる「支援費制度」が2003年4月からスタート。 しかし、厚労省の想定以上の利用がなされ、初年度から、厚労省の財源不足。 2006年4月より、利用を抑制するために、介護保険のような利用者の1割負担を導入した「障害者自立支援法」がスタート。 現在に至り、将来的には介護保険に組み込まれるのではと言われています。

障害者自立支援法の厳しいところは、利用者の負担が発生することです。 もちろん、上限がありますが、介護、医療のように、施設での食費、水光熱費は実費負担になりました。 障害者自身および、その世帯は低い所得であることが普通なので、上限があっても、トータルで考えると、実質負担額が増える世帯は多いと言われています。

負担が増えた障害者の「苦しさ」を報道したのが、今回の特集です。

知的障害者の負担が5万円から8.2万円に増えた、視覚障害者の負担が0から9千円という事例をあげて、障害者が直面する厳しさを訴えます。 
そして、学者の「障害者が、人間として当たり前に生きるための、最低限のサポートに対して、どうして、(ただでさえ所得の低い障害者が)負担をしなければならいのか?」というコメントを利用して、この「支援法」はおかしいと、間接的に報道します

また、「支援法」で規定している、いくつかのサポート(出かける時の介助)の内容は、市町村単位で決められ、例えば、映画を見に行く時のサポートは、「支援法」が提供するサービスのうちとするさいたま市と、サービスに該当しないので全額自己負担という川口市の違いも指摘しています。

身体・知的障害者は全国で400万人強で、団結すれば政治的にはそれなりの団体になりますが、団結自体がなかなか難しく、政治的な力は弱いです。 したがって、族議員がおらず、予算的には、削られる一方です。

生まれながら、あるいは事故病気で障害者になる可能性は誰にでもある以上、社会は、障害者に対して、手厚くサポートをすべきでしょう。 実際、厚労省の予算も、障害者関連はどんどん増えています。ただし、この400万人に対して、例えば平均で月15万円分のサポート(要はほぼ人件費、ヘルパーおおよそ15日分)をしたとすると、およそ6000億円必要です。 

この6000億円は、道路予算より優先度が高いのか?、農地整備より優先度が高いのか? 

弱者を社会で、どう支えるのかは、社会の大きなテーマです。 たぶん、議論すれば、意見は割れると思いますが、そもそも議論もされずに、中途半端な政策で、お茶を濁されるというのは、最悪だと思います。 (現状がそうです。 社会的にどうするかという基本的なスタンスが決まらずに、予算内の施策で、何とかしようという、予算で政策が決まっています)

もちろん、そもそも誰が社会的弱者なのかという時点で議論百出の場合もありますが、障害者の場合は、明らかに弱者です。 障害者の話が、埋もれないように、議論を持ち出すというのは、政治家の最低限の仕事だと思います。 ぜひ、身近な国会議員に、障害者施策についての意見を求めてみてください。何も答えらない、あるいは新聞記者のような解説しか答えられない議員は、政治家としての本質的な仕事をしていないと見て、問題ないでしょう。

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地方で医者をやるとハッピーか?

【色平哲郎 地方の医師不足、その本当の原因とは?】 日経メディカルオンライン 2008.10.6

長野の田舎で、在宅医療をやりながら、「医療の本質」を問い続ける、哲学系医者の色平先生です。今回は、佐久総合病院の長先生の投稿を引用して、地方の医師不足の本質を問いかけます。

・地方の意思不足の本当の原因は、新臨床研修制度ではない。 それは引き金
・そもそも地方の医学部の学生の過半数は(経済的に余裕のある)都会出身者
・都会出身者が、医局を飛び出して、都会の研修病院を選択するようになったから、地方に若手医師が減った

という長先生の趣旨を、「その通り」とまとめています。

・以前から地方は医師不足であったが、
・「地方の医療を守る」という「公共的使命」のもとで、医局が医師を囲い込んでいたが、
・今はその囲い込みができなくなり、個人的に生きたい「病院」に行くようなる
・そうなると、「地方」は見向きもされなくなる
・「地域の医師は、地域が育てる」という発想で、行政も学生も、医療に携われないか? 

と、医療は地域密着、医療は公共の部分が大きいという彼の哲学に基づいた意見をまとめています。

早速コメントがありますが、色平先生の意見に対して否定的なものが多いです。

・地方(大学)病院が、そもそも魅力がないから、ダメなだけ
・魅力がない理由は、病院経営を前向きに取り組まないなど、自業自得の部分もある
・結局、待遇や生活環境を含めた、地方と都会の格差が、医師不足の根本原因
・使命感だけで、医師を地方に勤務させるのは、難しい

どうして、医者は地方の病院で働かないのでしょうか? 
待遇の差、勤務環境の差、生活環境の差、いったいどこにあるのでしょうか?
もし、すべてがあてはまるならば、地方に医者が行かないというのは構造的な問題です。
 この辺を明らかにしてもらいたいですが、この問題、例えば地方の公立病院の問題等は、感情情的な議論、報道が多いような気がします。 マスコミは、「お年寄りが苦しんでいる」というお涙頂戴の方が視聴率がとれるのだと思いますが、「どうして、ドクターが(公立)地方病院に行かないのか?」という構造的な問題を、報道してもらいたいです。

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若者の、「不安とあきらめ」

【違法状態に対する、あきらめ】 世界 2008年10月

Photo 「社会的に弱い立場にある若者」を救うNPO団体の代表今野晴貴氏による、若者の労働実態調査論文です。 調査対象に偏りがありそうなので、大きくは取り上げられにくい内容だとは思いますが、非常に大事な問題提起をしている、良い論文だと思います。

ぜひ、政治家は世界10月号を読んで頂きたいのですが、私の方でまとめてみると、

・サービス残業や、残業代の不適切な計算などの違法状態の労働経験が3割以上(現状が違法であるという認知自体が少ないかもしれないので、違法状態自体はもっと多いか?)
・しかし、相談はするものの、ほとんどが「何もしない」
・定期昇給も賞与もない正社員が、調査では25%いた。 派遣社員も加えれば、「給与が将来的に上がらない」若年労働者が、軽く3割は越え、4割にせまるのでは?
・この追い込まれた状況に対して、若者の対応策は、「転職」。 しかし、転職で事態は打開しないと著者
・追い込まれているが、「やりがい」は感じている
・「顧客に喜んでもらえる」「いいものを作っている」という奉仕の気持ちから、やりがいを感じている
・しかし、漠然とした不安は抱えており、事態を変えたいと望んでいるが、「自己責任論」を受容し、日々の真面目な労働と、全体的には「不安とあきらめ」が覆うという、厳しい状況がある
・この「どうしようもない現実」、「精神的にしんどい現実」を克服するには、同じ境遇同士で、集まることが大事では?、既存の労働組合では、この機能は果たせない。 新しい集まりが必要だ

という感じでしょうか?

絶対的な数をしっかり調査すべきだと思いますが、「給与が将来あがらない(かもしれない)」という境遇の若者は、実はかなり多いかもしれません。 派遣という労働形態でなく、正社員でもこれが起こっているという指摘は、良い指摘です。

確かに、中小企業の一部では、定期昇給がほとんどないという事態に直面しているという感覚はあります。 減り続ける売上では、当然だと思いますが、売上が減り続ける中小が多過ぎるのかもしれません。中小が多い、建設土木、流通(小売・卸)、外食が構造的にマイナス成長なので、過当競争の中の体力勝負になっており、業界として給与が上がらない状態になっています。

マクロ経済が大幅にプラスであれば、多くの給与も上がるわけです。 またマクロ経済がプラスだと、(普通)インフレも起こるので、名目の給与も上がります。 実質も名目も、給与があがる、いい時代です。 しかし、マクロ経済がトントン、あるいはややマイナスとなれば、給与はあがりません。 インフレになれば、実質購買力も下がるので、厳しい状況です。 この半年は、まさにそういう傾向です。

物価はジワッと上がるけれど、給与は上がらないという、マイナス成長経済では必然的な事象が、まず若い人の間で起こっているというわけです
マイナス経済成長では、構造的な内容なので、政策的には、
・この構造を受け入れた上で、社会的にどう対応するかを考える
・この構造は受け入れられないので、プラスの経済成長を試みる
の2つの方向性しかありません。

現状は、後者の選択になっています。 しかし、難しい内容です。 国内消費か輸出が劇的に増えるかのどちらかですが、両方ともすぐにどうにかなるというわけでもないので、短期的な政府支出を拡大する(ばらまく)政策になりがちです。 確かに効果はありますが、将来的な負担増加を増やすだけで、本質的な経済成長に繋がりません。

マイナス成長の中で、最もキツイ状況に追い込まれるのが、社会に新規で参入してくる若者です。 (既存の社員をクビにできないから、入ってくる若者を削減します。 公務員がまさにこの構造です) 欧州では、この構造があり、大きな社会問題となりました。

日本ではどうなるのでしょうか? 複雑すぎて、全体の解を見つけることは容易ではありません。 しかし、この問題に、正面から取り組むことが政治家の仕事なのだと思います。

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公教育がダメなのは、やっぱり教育委員会の体質が原因

【山田宏、藤原和博 公立学校を変えてやる】 Voice 2008年8月

和田中ですっかり有名になった、杉並区教育改革の主人公です。これに教育長の井出さんが加わると、役者勢揃い状態ですね。

この二人が、藤原校長による和田中の5年間の総まとめを行っています。 客観的に見てしまうと、自画自賛で、「おいおい」という感じですが、短い対談ですし、実際に「行動を起こした」お二人ですから、OKでしょう、笑。

まずは山田区長による、教育に対する問題意識からスタート。
・ 公立学校を運営する教育委員会および現場のヘッドである校長が、非常に官僚的になっており、官僚的であることの弊害が目立ってきた
・ つまり、内向きの組織であり、子供を見ずに、上司を見ている。 これでは、良い教育(へのチャレンジ)ができない
・ 都の教育委員会を筆頭に、ダメダメの教育組織である

そこで
・ 競争原理の導入、そして、教育組織の外にいる、民間人校長の登用
という方針が、教育改革の手法論だそうで。

そして、その民間人校長の目玉が藤原(元)校長で、
・ 校長が持っている教育課程編政権を使って、カリキュラム改革。 結果、杉並の真ん中のレベルが、トップへ
・ 地域本部を作って、中学生に「ナナメの関係」を提供、惰性のPTAから、主体的な地域本部へ転換
・ その地域本部で、成績下位層引き上げのための「土曜補修授業」
・ さらに、成績上位層向けの「英語特別授業」
・ そして、話題の「夜スペ」(SAPIXと協力して実施) (形は地域本部ですが、学校側のイニシアチブがあり、細々した事務を地域本部が担当)
と、具体的な改革が続き、目に見える学力は大幅に向上。目に見えない学力については、学者が調査中。

「夜スペ」には、
・ 公教育に私企業が入るのはおかしい
・ (たぶん日教組関連から)学校の先生の権威が失墜する
という批判があったが、

・ 現場の先生は、塾の先生との協業を前向きにとらえている
と切り返し。 「不平等」「格差」という言葉が出ると、多くが思考停止に陥り、本質的な議論が盛り上がらないと嘆いております。

最後に、藤原さんは、
・ 教育産業はソフト産業
・ 仕組みを変えるだけでは変わらない。人事を変えないと本質的には変わらない
・ 教育制度を変えるだけでは改革ができるはずがない。 教育長、校長、先生を変えていく必要があり、それができるのが首長
と締めくくっています。

最後の結論が本質を突いています。 仕事のやり方が悪くて、経営破綻した会社は、同じ経営者で再生できるわけありません。 経営というソフトを運営するヒトを変えて、再生のチャレンジをするわけです。 同じことなのかもしれません。

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社会的弱者って、誰?

【岩田正美 新しい貧困】 中央公論 2008年4月

弱者を、社会全体で救うというのは、近代国家の大事な役割ですが、弱者とはいったい誰なんだ?ということ、そしてどう救うのか?ということを、皆で議論するのも近代国家なわけです。

弱者というと、障害者、高齢者などいろいろ想定できますが、経済的な視点で見ると、「貧困者」が社会的弱者であるということになります。 では、貧困って、どれくらいだと貧困なのか? 実は、この貧困の定義こそが、政治的、社会学の永遠のテーマになっていると、日本女子大の岩田先生は述べます。

その貧困の定義を不明確なまま、議論を進めると、週刊誌的な話になってしまうのですが、それを覚悟して、話を進めます。

岩田先生によると、長期失業が貧困の前提ということですが、長期失業だけでなく、雇用されているが賃金が低い場合も、貧困になり得るパターンも見られ、複雑であると。 また、結婚できない、離婚してしまう、何らかの理由で家族から離れているなど、「独りぼっちの貧困」も多く、精神的に追い込まれた貧困ということで、問題を一層複雑にしていると。 岩田先生が言うに、「バラバラに分断された、希望なき貧困」だと。

この「働いているけれど貧困者」、「独りぼっちの貧困者」をターゲットにした、福祉システムを設計しないと、現代の貧困は解決しないと主張します。

そこで、とにかく、「貧困の定義」を確立せよと主張します。 生活保護水準、最低賃金、基礎年金受給額など、最低限の生活を営む上での水準に関するものが、それぞれの目的で設定されており、全体で見ると、矛盾が出てきてしまい、議論が紛糾してしまうと。
(最低賃金で普通に働いた金額よりも、生活保護でもらえる金額の方が多い、基礎年金を満額もらうより、生活保護でもらえる金額の方が多いなど)

確かに、「貧困の定義」は難しい。 そして、その困難に学者も貢献できていないと(軽く)反省しています。 結局、岩田先生も、政府は「貧困の定義」を明示すべきだろうという、学生のような結論しか持っておらず、問題提起の域を出ていません。

この弱者は誰で、社会はどう救うのか?という話は、政治の大きな課題です。 そもそも母集団は小さいので、政治的なマイノリティ、ゆえに政治的力はなく、行政側が、「意思」で政策を作らざるを得ません。 この「意思」を持った政治家は、いるのかなぁ?

母集団が小さいといっても、これから、高齢(かつ独りぼっち)の貧困者の母数は大きく伸びる可能性があり、また医療費・介護費と連動性もあるので、医療介護制度全体として、大きな問題になってくるはずです。

この問題について、私はまだ完全に勉強中であり、何も言えないのですが、直観的に大きな課題だと認識しているので、アップしてみました。

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行政組織運営は、性悪説をベースにして設計

【蔭山英男 教育委員会の構造的腐敗】 週刊ダイヤモンド 2008.09.27

大分県教育委員会の汚職事件から、教育委員会について、百ます計算の蔭山先生が書いています。内容をまとめると、

・教育委員会は、完全に閉鎖された組織
・(都道府県教育委員会は)行政本体とは別の位置づけであるし、実は地方分権が進んでおり、実は裁量権が結構ある(文科省を言い訳にするのは、実はおかしい)
・それがゆえに、腐敗すると、牽制機能が全く働かないので、ズブズブに腐敗する
・それに、地方に行くと、教師は「高給取り」
・業績に関係なく、年功序列で上がっていく給与の水準は、物価水準の低い地方には魅力的な金額
・だから、教員採用について、利権化する温床になりうる
・数百万で、その高給ポジションが獲得できるならば、合理的に出す人間は出てくる
・温床はあっても、担当者の意志で腐敗しない組織にとどめることはできるはずだが、大分の事例が出た以上、腐敗の温床は、仕組み的になくすという声が出ても、反対できない

行政の組織運営について、示唆に富む内容があります。

性善説にたって、運営をしても結局裏切られるので、性悪説にたって、組織運営のルールを決める必要があるということにならざるを得ないということです。
もちろん、行政職員のほとんどは、まっとうにやっている人だと思いますが、数%でも、「ちょろまかし」を起こす職員がいると、一気に「悪貨が良貨を駆逐する」状態になります。
したがって、性悪説にたった設計が必要になるのです。

今回の大分の事件でも、「悪意があれば、点数を改ざんできる」という、仕組み上の欠陥があります。 悪意をもって改ざんするということを想定していないわけですが、しかし、事実、大分で出てきたし、普通、他でもあると見るのが普通です。
だから、「悪意があっても、改ざんできない」仕組みを導入することが、行政上の仕組みとして必要です。 それは、その組織とは全く別の組織が関与することです。 とにかく、身内ですべてをやらせない。

これ以外でも、「教員は進んで、自分の能力を上げていく」、「教育委員会は、一生懸命、子供にとって良い教育を考えている」という性善説をベースにした制度設計があります。 こういった制度設計も、性悪説をベースにすると、全く違ったものになると思います。

別に、行政職員の人格を否定しているわけでなく、どの社会でも一定の確率で、悪さをする人間が出てくるし、それは行政組織でも例外ではないので、行政も「性悪説にそって、制度を設計する」ということが、大前提だと思います。 上場企業向けの会計、商法ルールは、原則そうです。 あとは、コストとの見合い。 性悪説前提設計とは、要はチェックを繰り返すということなので、コストがかかるわけで、コスト倒れになってしまったら意味がなく、そのバランスを取るというのが、マネジメントとなるわけです。

個人的関係は性善説、組織的な運営は性悪説ということだと思います。

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公務員は、「何が税金の無駄か」さえ、意識できない

元佐賀市長、木下敏之さんの講演を拝聴しました。
誠実で、直球で、真剣で、熱いけれど、落ち着いている雰囲気と、素敵な印象でした。

「なぜ、改革は必ず失敗するのか」という、売るためのキャッチーなタイトルの本があるのですが、この前半の市長時代の取り組み話が良いです。 破たん三セクの処理、談合との向き合い、議会対応と、既得権をぶっ壊す「改革市長」が必ずぶつかる壁が書かれています。 親族が殴られるとか、生々しい話もあって、真面目に政治家をやると、本当に大変です。 逆に、襲われたことがない政治家は、何もやっていないと同じことか、笑。

それから、人口が減り、若い人が出ていき、税収も減り、でも借金はかなりあるという、どうしようもない地方都市の苦悩も書かれてあります。 処方箋がわからない、、、

今回の講演は、この「どうしようもない、地方都市の現実」の話と、公務員の世界につかると「そもそも、何が税金の無駄か、わからない」という、公務員と市民の、交わり難い意識ギャップ、そんな話が中心でした。

「そもそも、何が税金の無駄か、わからない」という話は、結構インパクトありました。 
矮小な例ですが、女性が、「男はどうして、すぐエッチしたがるのか、わからない」と思うような、永遠の意識ギャップを感じました。 

確かに、同じ組織に長い間いれば、その組織の仕事のやり方が、「常識」になるわけです。 役所に限らず、組織と人間の関係一般に言える事なのですが、役所の場合は、「市場、顧客を意識するということが、ほとんどない」ので、どんどん内向きの仕事のやり方になるという、特殊性があって、その特殊性が、意識ギャップを生むわけです。

「常識」に染まれば、自分の「常識」のおかしさに、本当に気付かない。 逆に、「常識」がおかしいと言われると、自分が否定される気分になるので、猛烈に反発する。
公務員が自分で改革を行うということは、構造的に無理であるということを、しみじみと実感させてもらいました。

民間の場合、自分の仕事は「顧客、市場」によって評価されるので、仕事は外向きにならざるをえず、結果的に仕事のクオリティは上がっていく。 しかし、公務員の場合、それがない。 だから、仕事は内向きになって、仕事のクオリティはなかなか上がらない。

公務員の意識をどうやって外向きにするのか? これは、これからの、最も大きなマネジメントテーマなんだと思います。 学者の皆さんにぜひ取り組んでもらいたいです。 私自身も、ささやかながら、取り組んでいこうと思っているテーマでもあります。Photo

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