カテゴリー「考え方」の33件の記事

「社会に対する、自分の責任」の自覚

【大前研一 言われた通りにやるな】 週刊アスキー 2002年2月5日号

Photo 7年前という、凄い昔の雑誌の切り抜き、大前先生のインタビューです。 ある資料の間に挟んでありまして、読んでみたら、これが良い! 

私は、彼の「トライアドパワー」という本を、大学の時に読んで、「よくわからないけれど、なんか凄い!」という感想も持ちました。 そして、ミーハーなので、そのまま戦略系コンサルティング会社へ。 戦略的に考えず、「なんか凄いから」という理由の就職活動だったのですが、今考えれば、偶然にも良い選択だったと思います。

20代の半ばくらいまでは、大前教の信者でしたが、最近は、彼の著作を全く読まなくなりました。 なぜなら、「内容が薄いから」。

しかし、このインタビューを見て、少し納得しました。 大前先生いわく、
日本人の知的レベルがこの10年でぐっと下がって
・内容を噛み砕いた、読みやすい本じゃないと売れなくなった
(だから、優しい本、わかりやすい文章になるんだよ)

自分で組み立てる力、想像する力がなくなっている
・絵、動画など、ビジュアルでわかりやすいものに毎日接しているので、文章を、自分の頭の中で処理する機会がなくなっているから

・だから、皆ヨワヨワだから、少し頑張れば、いくらでも活躍できるよ!

インタビューの内容は、大前節炸裂で、まとめれば、
・ヒトの話より、自分の考え。 好き勝手に生きろ! まず動け、失敗して学べ。 Just do it!
こんな感じか、笑。

彼のマネジメントに対する洞察も勉強になりますが、個人的には彼の価値観にも、大変影響を受けています。

かなり前から、彼は言っていることですが、
・社会に対する責任 (住んでいる地域に対する責任)
・自分に対する責任
・家族に対する責任
・(会社に勤めたら)会社の責任

この4つの責任について、自分なりに自覚することが、人生にとって大事なこと。 そうすると、やらなければならないことが明確になって、人生も楽しくなると。

自分は、まだまだ自覚できていないです。 そこが大きな問題です、笑。

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市長の仕事は、新しい公共サービス事業のマネジメント?

【勝間和代のクロストーク 終身雇用なきあとの社会設計】 毎日jp 2009年6月28日

Photo 勝間和代さんと、福祉政策が専攻の宮本太郎さんの対談に、良い視点が盛りだくさんありました。(宮本太郎さんは、なんと宮本顕示のお子さんとは、、、)

良い視点を得られたコメント&気付きをまとめると、

・スウェーデンは、雇用流動性が高く、生産性の低い部門から高い部門への移動が行われてきたが、一方で、公共部門で雇用を作り、全体として雇用率を上げてきた
・ただ、生産性の高い産業が、それほど雇用を必要としなくなってきたので、結果的に、雇用の3分の1は公務員という状態
・最近は、公共部門の雇用も限界にきており、(失業率が上がり)失業手当で暮らす人が増え、スウェーデン国内でも、不協和音が広がり始めた

・日本は、公共部門の雇用を拡大していないので、民間で吸収できないと、失業率が上がってしまう
・低成長下で、民間の競争が激しくなり、ハードワークの正規社員と、時間限定だけれど給与が上がらない非正規という、極端な二つの仕事モデルしかなくなってきた

・仕事を通して、というか、仕事だけに「生き甲斐=幸せ」を追う人生観ではなく、別の人生観が生まれないと、低生産性の仕事に誰もつかなくなる
「別の人生観=仕事以外の、幸せの源泉」は、地縁か、趣味縁のコミュニティにおける活動か?

・多少非効率、給与が低めな仕事でも、地域の仕事を公共(行政)が生みだし、その仕事を通して地縁が強くなり、結果的に相互扶助の関係が出来上がることが、社会にとって良いことでは?

・ただ、今まで会社一筋でやってきて、仕事が生き甲斐という人生観を持っている人に、地縁という繋がりを通して生き甲斐を見出しましょうと言っても、少し難しいかも
会社組織のコミュニケーション(階層組織)と、地縁のコミュニケーション(対等に役割分担)は微妙に違うので、会社組織のコミュニケーションを地縁に持ち込まれると、コミュニティがギクシャクする

・行政の仕事は、民間が提供しにくくて、かつ公益になるような仕事を作り出して、そして、その仕事を、役人組織の弊害(責任感の低さ、画一的など)をできる限り小さくしながらマネジメントすることになる
・具体的な仕事は、介護、教育、子育て、防犯、清掃などで、そのためには、現状よりは政府規模は大きくならざるを得ない

今までの普通の人生設計は、子供が大きくなるにつれ、教育費と住宅ローンで支出が大きくなり、40代50代で給与が上がり、その支出に対応するというものでした。
しかし、40代以降、給与が伸びないというならば、そして、そもそも雇用自体も危うい時代ということであれば、二つの面で、社会の構造改革が必要です。

ひとつは、伸びない収入に対応して、大きな支出も何とかしなければならないということになります。
住宅ローンはまた別途取り上げるとして、教育については、もっと社会が支えても良い内容なのかもしれません
(高校の授業料実質無料化、大学の奨学金制度の拡充など)

もうひとつは、それが、この勝間宮本対談で言われている、雇用自体を行政が作り出すということです。今までは、公共事業で間接的に土木事業の雇用を作ってきましたが、土木事業ではもはや多くの幸せにつながらないので、介護や教育という新しい部門で、雇用を作る必要があるということです。
市長の新しい仕事は、新しい雇用のマネジメントなのかもしれません。

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ヒトには社会が必要、ヒトにとっての社会は「働く場所」

【ユニクロ柳井社長とドラッカー その2】 NHK 知る楽 2009.6.25

Photo ユニクロの柳井社長の、ドラッカー論です。 番組自体は第4回目(最終回)ですが、私は2回目のエントリーになります。 前回はこちら

今回のキーフレーズは、「企業は社会の道具」。

ドラッカーはヒトに注目して、ヒトから発想しています。 そして、ヒトの幸せを追求しています。
ヒトは、社会的動物(存在)であるがゆえに、ヒトが幸せであるには、自分の居場所が社会の中にあり、同時に社会の中での役割があることが必要と唱えます。(『産業人の未来』より)
つまり、ヒトには社会が必要であるとしています。 (また、社会における権力の正当性も挙げていますが、割愛します)

社会における企業は、そこで働く人たちに、居場所(position)と、役割(role)を与えることが必要で、居場所とは、生産的な仕事を通した、生計の素、仲間との絆、自己実現の場の総体であると唱えます。
しかも、それは企業が従業員に一方的に与えているという一方通行の話でなく、企業も、そのような従業員を必要とし、いなければ企業も成立しないという、相互を必要としている関係なのです。

だから、柳井社長は、会社と従業員が相思相愛でないといけないと考えているようです。
会社の社会での役割(価値)を明確にして、そのために仕事をするという考えに共鳴してくれる従業員という関係を作らなければならないと言います。
(日経ビジネス090601 44P)

トップの仕事は、企業の社会における役割=価値を明確にして、それをブレずに言い続けることだと断言します。
だから、柳井社長は、「服を変え、常識を変え、世界を変える」というキャッチフレーズを作り、「あらゆる人に、良いカジュアルウエアを提供する」という社会的ミッションを言い続けます。

「あらゆる人」というところがポイントだとも言っています。
お金持ちも貧乏も、服好きも、服に関心がない人も、あらゆる人にとって、良いカジュアルウエア。
安いだけのカジュアルウエアでなく、デザイン、機能、価格すべてで納得できる価値を持つ服、それが「あらゆる人」にとっての、良いカジュアルウエア。
壮大な社会的ミッションですが、柳井社長だと、やってしまいそうです、笑。

もちろん、従業員の居場所は、会社のミッションだけで成立するわけでなく、日々の仕事のダイナミズムやコミュニケーションが大事なわけですが、そういったモノの根幹が、ミッションなのかもしれません。

ちょっと抽象的で、霞のような話ですが、大変本質的な話だと思っています。
大企業では、どんどん役割が分化し、居場所と役割が中途半端になっていきますが、それをどうユニクロは打破していくのか?
京セラはアメーバ経営、ミスミはスモールビジネスユニット経営という形で、バーチャルに企業を分割し、小さい単位にして、従業員の居場所を作り上げています。

ユニクロも企業買収を通じて、規模を拡大していますが、ユニクロのように、業績も良く、そして社会的にも意義があり、従業員にとっても大切な社会の場という3拍子揃った会社は、まだ生まれていないようです。
(セオリーも業績だけ良い、普通の会社です。 最近は業績も厳しくなってきましたが)

哲学と、実際の経営を結び付けようとしている柳井社長は、いずれにせよ、素晴らしいです。

彼は最後に言っていました。
「ドラッカーを実践しましたと、言いたいです」

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市長の仕事が、良いか悪いか判断するために、、

Photo 千葉商科大学大学院教授の吉田寛さんの講演を聞きました。 もともと公認会計士の先生で、行政部門の会計について、独自の理論を持っています。 今回の講演は、その理論の説明というより、「どうして、行政部門に会計が必要なのか」という、そもそも論のお話でした。

非常に勉強になりましたし、納得感も強いです。 しかし、笑い話がいっぱい挿入されるので、意識しないと、笑い話しか、記憶に残りません、笑。

例えば、民間会社と会計の関係。 民間会社の運営の結果をわかりやすく表現するのが会計という手法で、その会計で表示された数字を通して、関連するヒトが、その会社の社長の運営(経営)の是非を判断します。
これと同じことが、行政運営にもあてはまり、行政の運営の結果(成果)をわかりやすく表現する手法が公会計。 このわかりやすい公会計を通して、主権者は、自らが委ねた代表者(例えば市長や町長)の行政運営のOK・NGを判断することが大事と説きます。

しかし、現状は、行政運営の是非を判断する材料がないに等しい状態で、訳のわからないまま、行政が運営され、いつの間にか、とんでもない借金が積み上がり、子供たちの世代に、その返済義務を負わせている状態であると嘆きます。

結局、我々市民が、膨大な借金の蓄積を、選挙を通して間接的に認めきたということなのですが、それは、行政運営の是非が判断できないような、日本の決算制度にあると指摘します。 わかりにくい予算体系・用語、複雑な仕組み、大雑把な開示など、普通の人には絶対に理解できない、決算書=「結果報告書」、予算書=「政策計画書」の問題だと指摘します。

それは、明治維新、戦後のGHQ統治などの歴史の流れからくるものですが、それを悪用して、「税金を、合法的に自分たちに都合よく使ってきた」のが官僚であり、税金が足りなくなってきたら、「合法的に借金をして、ツケを子供たちに回すようにしてきた」と主張します。 

そこで、行政の運営の是非が、明確に判断できるように、公会計の仕組みを導入して、「市長・町長の運営が適正さを判断 ⇒ 投票の基準」という流れを作ろうと結論づけます。

公会計とは、簡単に言えば、
・行政が行う事業にすべて「値札」をつける → どれだけのコストがかかっているのか明らかにする
・そして、その事業の「成果」を説明する → 誰のためにやって、どれくらい効用があるのか
ということを、全事業に適用して、事業の存在意義や継続性を検討し、借金をする場合は、借金をする意義があるかどうかを検討する、明確な判断材料を作ることです。

例えば、(細かい部分はメモが取れていませんが)働く女性のために、ゼロ歳児保育を充実するという事業の場合、ゼロ歳児保育の、ゼロ歳児一人当たり年間行政コスト(税金)が約600万、親の負担が年間25万円、差し引き税金負担が550万円以上というように、事業のコストと成果を明示します。 こういった数字があれば、いろいろな視点で議論ができるようになり、まさに自治が行われるようになります。 

その他にも、何となく続いている事業も、「成果」と「コスト」を明確にすることによって、本当にその事業が必要なのか?という議論が必然的に起こってくることでしょう。

わかりにくい決算説明で、有権者を煙にまき、関心を盛り上げず、いつの間にかに、有権者の子供に負担を負わせるという、あまりに酷い状況を何とかしなければいけないと、吉田先生は最後にまとめました。 

コストの積算も、物理的にはいろいろなテクニックが必要だと思います。 間違った数字を導きだしたら、判断も間違えてしまいます。 柏市も行政評価ということで事業ごとの費用が報告されていますが、どういう前提で算定されているかわからないので、何とも言えません。 突っ込みどころ満載なのに、柏の市議会議員さんは、いったい何をやっているのだろうか?

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公務員の給与水準決定の調査は、パンドラの箱

【多摩市公務員の平均は845万】 日経ニュース 6月18日

以下、日経ネットのニュースです。 ソースが何なのか、よくわかりませんが、嘘でもなく、事実なのでしょう。 多摩市がトップということで、早速、多摩の岩永ひさか議員も、ブログで取り上げています。(本当に早い! 市議会議員の鏡です!!)

(自治体職員の平均年収「700万円超」1割 08年4月時点 )
 都道府県、市区町村を合わせた全国の自治体の1割にあたる187の自治体で、職員の平均年収が700万円を超えていることがわかった。総務省がこのほど開示した自治体別の平均給料と諸手当、ボーナスを合計して2008年4月時点の平均年収を推定した。最高は東京都多摩市の845万円。民間の給与水準が低い地域を中心に、公務員の厚待遇への批判が強まりそうだ。

 地方公務員の給与水準はこれまで、国家公務員の給料を100とする「ラスパイレス指数」で基本給のみを対象に比較されてきた。今回、教職員と警察官、臨時職員を除く一般職員について、日本経済新聞が月額の給料や諸手当をもとに平均年収を算出した。

公務員の給与は、民間の給与に準じて、人事院が相場を決めています。 一応、従業員50人以上の民間企業のサンプル調査から、数字をはじき出しているのですがいったいどの会社が調査対象になっているのか、絶対に公開されません。 公開を請求しても、間違いなく却下されます。

おそらく、公開されたならば、その恣意的なサンプルに世論が怒り爆発になるからです。
公務員の給与体系は、民間の実態のおいしいところ取りです。 民間は40後半になると給与は、ほとんど上がらなくなりますが、公務員は定年まで上がり続けます。 ベースは民間と一緒(やや低め)でも、公務員は定年まで給与が上がり続けますから、最後は高い水準になります。 しかも、ボーナスも景気に関係なく、(通常時の)民間水準の月数が出ます。 給与水準自体が高く、月数も多ければ、ボーナスも巨額です。 
公務員の平均年齢が上がってきたので、だから、多摩市のような数字が出てくるのです。

公務員の給与は、民間に準じているといいながら、実感として、あり得ないような水準になっています。 我が町、柏の場合、一般職の平均が、ボーナス、手当込みで、なんと1008万円! 多摩を超えます、笑。 (H21年度の予算書より) ちなみに、平均年齢が45歳から50歳くらいです。
そして退職金が2500万前後。 完全に大企業水準です。 大企業から中小企業まで見てきた、経営コンサルタントの私がいろいろな会社を見ての実感です。 従業員50人以上といいながら、実際は従業員1000人以上クラスの水準です。 (1000人以上は、確かに50人以上の会社ですから、嘘はついていません。 でも、だったら、最初から1000人以上と言えよ!)

国会議員も、都道府県議会議員も、この人事院や人事委員会に、民間の調査対象会社を公開させるように、命をかけて活動すべきです。 天と地がひっくり返るくらいのインパクトです。 
公務員の給与を参照する、調査対象民間会社は、絶対に大手ばかりです。 公務員は、大手民間の水準に準じているのです。 それを50人以上の会社を対象としていると、中小企業水準に見せかけているのです。 絶対にあり得ません。

公務員の給与水準のロジック(根拠)の公開は、財源確保の圧倒的で、効果的な手段です。 公開された瞬間に、支持政党関係なく、有権者が怒り出します。 

このパンドラの箱を開けるために、(公務員の労働組合の支持をもらっている)民主党の議員は、命をかけて、火の栗の中に突入できるか?

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既得権団体、管轄省庁、自民党という、癒着トライアングル

【献金と天下りに負けた】 AERA 09.6.15

Photo 医薬品販売ルールの変更、つまりネットによる大衆薬の販売が規制されました。 この問題はふたつの視点が必要で、
・ひとつは、役所主導の検討会(審議会)という形式会議をもって、役所の裁量で販売ルールを変えたこと
つまり、これくらい大きな内容でも、役所だけでルールが決められる、立法プロセス(省令)があること
・もうひとつは、薬剤師が店頭に入れば、アルバイトが販売してもOKだが、ネットは一律ダメという、何とも不思議なロジックで、既存の販売チャネルの権益を守る内容になったこと

一番目の、立法プロセスで、役所が勝手に法律を制定できる省令の問題は、別途アップするとして、今回は、二番目の話を取り上げます。

今回のネット販売の規制の根拠は、
・薬は、使い方を誤ると危険なので、薬剤師を通して、対面販売すべし (これが消費者の利益に繋がる)
ということです。

しかし、薬剤師のみが販売するのでなく、薬剤師がいれば、アルバイトでも良いという、何とも中途半端な内容。
ネットも、質問に対して答えられる薬剤師がいれば販売がOKかと言えば、それはNGと、これも不思議な話。
電話で薬剤師が対応して通信販売しても、これも対面でないのでNGだそうだ。

楽天の三木谷社長は、
・日本薬剤師会と、厚生官僚のタッグに負けた
と、AERAのインタビューに答えています。

大衆薬販売の規制緩和が進み、普通の小売店で薬が販売されるようになり、その拡大を恐れた、既存薬局(多くの薬剤師が働くところ)のグループが、厚生省に圧力をかけたと言われています。
つまり、大衆薬が普通の小売店(コンビニなど)でどんどん販売されるようになると、薬剤師の存在意義が、処方箋薬局などに限定されてしまい、また(薬剤師が経営する)薬局の売上も下がる可能性が高く、それを薬剤師会が恐れたということです

小売店を締めだそうとしたら、結果的にネット販売も締め出し、ネット販売の方で大きく反対意見が出てきたという流れのようです。
三木谷社長のインタビューが冴えています。

・今回の主役、日本薬剤師会は、厚生官僚(特に薬剤局)の天下り先
・政治団体の日本薬剤師連盟は、最近3年間で14億円を自民党に献金、県単位の薬剤師連盟を加えれば、もっと大きな額になる
・既得権者(薬剤師)、天下り先確保をネタに、既得権者を守る厚生官僚、政治献金をネタに、既得権者を守る政治家という、癒着トライアングル。 自民党はもうダメだ
・ネット販売が危ないというならば、その危ない事例を防ぐ知恵を働かせばいいのに、単に禁止というのは、ネット販売の多くの利点をつぶして、全く消費者のためになっていない

怒り心頭の三木谷社長。 私も、明らかにおかしいと思います。
舛添大臣も、自民党の組織の中で大臣やっているので、自民党にNOと言えないあたりが、情けないところです。

自民党の世耕弘成さん、山内 康一さんという若手は、堂々と反対を表明しています。

前回と同じですが、自民、民主という区分けでなく、既得権団体を守るか、ゼロベースで既得権団体に接するかという区分けの方がしっくりきます。
「過去のお付き合いにしばられる、ベテラン政治家」VS「しがらみのない若手のグループ」という感じですね。

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現場でつかんだ、「心の武装解除」のノウハウ

【銃よ、憎しみよ、さようなら 瀬谷ルミ子】 プロフェッショナル NHK 09年4月21日

Photo 国連のスタッフとして、紛争地で、武装解除(兵士から武器を取り上げ、兵士から普通の市民として、社会復帰させること)の仕事をしている、瀬谷ルミ子さん。 なんと32歳です。 (彼女自身は、国連職員でなく、国連に雇われるプロフェッショナルです)

私の恩師、「秋野豊」賞の第2回の受賞者らしく、なんとなく親しみ感がある中で、番組を見たのですが、「いやいや、恐るべし行動力。 それに知力。 しかも、まだ32歳。 って、私より8つ下。 親しみでなく、もう尊敬です」という印象にすぐに変わりました。 本当に、凄いの一言です。 「自分がやるべきこと」に対する意思が強く、ゆえに抜群の行動力が伴っています。

 
紛争地の仕事ですから、いつ命を落としてもおかしくはありません。 秋野豊先生も、タジキスタンで紛争解決(監視)中に命を落としています。 そういった厳しい環境で、その行動力、凄いです。 私は、全然甘い。 命を落とす環境はないし、「自分がやるべきこと」の思いが緩い。 反省です。

番組のタイトルは、「銃よ、憎しみよ、さようなら」。

紛争地では、「憎しみの連鎖」という悪循環が続きます。 親族や仲間がやられたから、やり返す。 やり返したら、相手からまたやられる。 その循環が永遠に続いて、敵を、本能的に全く信用をしていません。 「いつか殺される」という不安が常に続いている状態です。 だから、相手を信じたらダメ、常に疑え、怪しければ殺せということが、本能的な信念になるわけです。
これが、政府でなく、市民レベル(物心ついた子供のレベルまで)まで、広がっており、紛争解決は、この市民の「心の武装解除」をやらないと、本質的な解決に繋がらないと、瀬谷さんは言います。

わずか45分の番組ですから、「心の武装解除」のための、様々な工夫・努力はよくわからないのですが、もちろん国連の立場という背景もあるのですが、ヒトとして、相手の懐に飛び込んで、信頼関係を取りに行く姿は伝わります。 彼女は現場担当ですから、一兵士、一市民が相手です。 机上の開発途上国の政治論でなく、一人一人の幸せを本当に切望して、粘り強い活動を行っているようです。 

現場は面倒です。 一人一人、状況が違うし、時に数時間、同じ話を永遠としなければならない。 頭のいい人は、全体の(概念的な)戦略を作るだけで終わるのですが、武装解除、そして再び兵士化しないという「現実の結果」を勝ち取るには、彼女のような活躍で、「心の武装解除」が必要なのだと思います。

安全地帯での「戦略作り」に終わらず、現場に突入して、現場で結果を出していくる、瀬谷ルミ子さんには脱帽です。 その辺の、現場を経験せず、本と、インタビューだけで「わかったふりをする」政治家や学者と違います。

瀬谷さん、安全保障や途上国支援で、抽象的なことを言って、主張したつもりになっている民主党の議員の皆さんに、ガツンとぜひ、言ってください。

「現場知って、モノ言っているのか?、おい」

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少子化は、どうにもならない?

【少子化の原因は、若い人が貧乏だから】 読売新聞 2009年5月5日

Photo アクティブな女性層に大きな影響を与えている勝間和代さんが、少子化について、語っています。

・少子化は20年前以上から、事実として明らかに認識されてきたが、政府は最優先課題として取り組んでこなかった、つまり、予算配分が圧倒的に小さい
・少子化の原因は、未婚非婚の増加であり、その背景に、若年層の貧困がある

・収入が少ないことによる経済的な不安が、出産に対してネガティブになる
・一人目の育児経験の辛さ(育児の孤独、社会的繋がりからの断絶など)が、二人目の出産に対してネガティブになる
・三人目に対しては、(標準的な収入では)経済的な不安でネガティブになる

・となると、若年層に多い、非正規労働者の待遇を改善(同じ仕事ならば、正社員と同じ給与)
・育児で孤独を感じないように、男性も定時で帰宅できるような仕事環境作り
・出産、保育、教育への公的支援をもっと大きくする、ことが大事

・財源は消費税アップ

要は、国家としての最優先事項のひとつなのだから、とっとと金を使え!というのがメッセージです。
彼女が毎日新聞のウエブの連載では、「児童手当5倍、保育園定員1.5倍」という主張をしていますが、読者の半分強からは、NOという結果。 少子化対策が、公共の利益という理解には、なかなか繋がらない事実があります。

勝間さんは、「少子化は、個人のライフスタイルの問題という指摘もあるが、これは社会の問題。 産みたくても産めない、社会の構造的な問題があるのだ。 まずは、この認識ギャップをなんとかしたい」と、言っています。

2 勝間さんも参加している政府の少子化対策プロジェクトの第1回では、「婚活」の山田昌弘先生が少子化の原因を述べています。 彼によると、
・結婚の前提となる恋愛ができない男(女)が増えた
・昔に比べて、出会いの可能性が広がり、かつ晩婚に対する社会的理解も高まったため、結婚に対して若い人が慎重になった
・若年層の年収の停滞など、慎重にならざるを得ない、大きな理由も増えた
とのことで、若年層の貧困は共通の指摘ですが、勝間さんが指摘している、「育児の問題」がありません。 どうなんでしょうか?

ちなみに、日本政策投資銀行の藻谷浩介さんによると、出生数(子供の数)自体の減少自体は、子供を産める女性自体が減っている以上、どうしようもないと一刀両断しています。 となると、勝間さんの少子化対策は、その流れを反転させるというより、ささやかな抵抗(減少ペースを緩やかにする)に過ぎないということになるのでしょうか?

そもそも「少子化とはどういうこと」で、それが「いったいどんな問題なのか?」という、当たり前のようでいて、実は議論の分かれる、出発点をはっきりさせないと、少子化の議論はかみ合いません。
勝間さんは、ご自身が育児で苦労されている分、少し情緒的にならざるを得ないのかなぁ?

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公務員の世界だけに残る、年功序列給与

給与が上がるのは、貢献度が上がるからです。 つまり、組織における、その人の付加価値が大きくなるからです。
年功序列の給与制度は、年齢が上がるにつれ、付加価値が大きくなるという前提にたっています

本当に、年齢が上がると付加価値が大きくなるのでしょうか?

そうである場合もあるし、そうでない場合もあるというのが現実。 だとすると、どうして、今まで年功序列が成立したのか? 全体が成長していたから。これに尽きると思います。
成長力の落ちた中小企業は、既に年功序列の体系は崩れています

全体として成長が止まった、これからの日本では、年齢が上がるにつれ給与が伸びる職種と、そうでない職種に完全に二分すると思います
年齢が上がっても、組織的貢献、つまり付加価値が大きくならない職種についた人は、ずっと低いままの給与に甘んじるしかありません。
ひょっとすると、そういう職種の方が、世の中では多いのかもしれません

職人といわれる仕事は、経験年数、つまり様々なトラブルや困難をクリアした経験が、技術に直結していきます。 実は営業職もそうかもしれません。
一方で、いわゆるアルバイトやパートがやっている仕事は、経験年数の蓄積による付加価値の増加は大きくないのかもしれません。
また、派遣社員が中心の、定型作業が中心の仕事も、経験年数の蓄積による付加価値の増大は小さいと思われます。

実際は、同じ職種でも、ケースバイケースだと思いますが、いずれにせよ、経験が付加価値に結びつきにくい職種の給与は上がらなくなるでしょう。
そして、世の中の半分近い仕事が、おそらく、そういう仕事(定型業務で、効率化の程度に限度があるもの)になるのだと思います。

派遣やパートの低賃金問題は、根深いと思います。

しかし、年功序列が生き残っている世界があります。

そう、公務員の世界です。 毎年着実に上がります
公務員の仕事は、経験の蓄積が付加価値の増大に繋がっているのか?

おそらく、限定的だと思います。もちろん、様々なヒト相手の教職、警察などは、かなり経験と付加価値が連動すると思いますが、事務系の仕事や、定型業務系の現場は、ある一定のところで、経験の蓄積が付加価値にダイレクトに結びつかなくなると思います
つまり、公務員20年目も、30年目も、もはや付加価値は大きく変わらないでしょう。
(逆に、体力や保守性の問題が、付加価値を下げるかもしれません、笑)

それでも、公務員の給与は上がる。 大きな矛盾です。
一般公務員の上限給与水準を、3分の2くらいにして、余った分で、また公務員を雇えば、公共サービスはもっとよくなります。 (よく日本の公務員は世界的に少ないと言われますが、一人当たりの給与は高いらしいです)
ヒトが増えて、仕切りがしっかりしていれば、サービスレベルは必ず上がります

どうして、民主党はそれを指摘しないのか。 公務員の組合にサポートされているから。
民主党の限界です。

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経済成長が止まると、まず若者が餌食に

【若者危機】 東洋経済09.1.10

Photo 現在の20代が、かつての20代に比べて、経済的にあまり恵まれていないということを特集しています。
前半のデータが、20代の経済的、社会的な苦境を示しています。

・15から24歳の失業率が、2003年にピークの10%、その後8%まで下がったが、再び上昇傾向か?
(ハローワークでの求人が前提)
20歳前半の非正規雇用比率は、07年で43%、20代後半で28%
・派遣社員の50%強が、年収200万未満、契約社員の40%強が年収200万未満
・非正規社員の40%は雇用保険に加入せず、50%以上は厚生年金にも加入せず
・29歳以下のニートが、40万人以上
・20代後半男性の64%、女性の56%が親と同居(→未婚者の多くがパラサイト)
・大卒の35%は、3年以内に退職

大前研一氏は、「甘い、もっと頑張れ!」と檄を飛ばしますが、城繁幸氏は、「若い人には、生きにくい世の中になった」と、構造的な問題を指摘ましす。 城氏の主張は、
業績の厳しさから、給与が上がらなくなってきたが、年長者の給与が高止まりのまま下がらず、一方で20代の給与が低いまま、据え置きされてしまっているという、世代間格差が出ている
・さらに正社員数を減らし、派遣・契約社員を増やした。 その受け皿が20代で、景気変動の影響をモロに受けるのも20代

私も、城氏の意見の方に分があると思います。
経済成長がほとんどない状態で、かつ利益志向が強くなった時代では、技術もなく、意志も弱い若者に、厳しい風が吹きます。 会社は即戦力を求め、また単純作業は派遣やアルバイトでやりくりしようとすることは当然です。 その企業の合理的対応が進めば進むほど、若者が苦しくなっていくという、何ともやりせない構造があるわけです。

もちろん、収入の少なくなった若者が増えれば、若者市場も小さくなるわけで、車、アルコール、旅行、ファッションなど、若者市場が小さくなって、逆に企業は苦しんでいるという、因果応報の話もあるようです。

「格差社会」の山田昌弘教授は、「中高年は早く引退して、まさに派遣契約社員となって、若者に活躍の場を譲れ!」と唱えています。(「あんたこそ、早く教授のポストを譲れ!」と、ポストドクターの叫びも聞こえますが、笑)

この問題は根深いです。 実は、経済成長がずっと前に停滞し始めた欧州で見られた内容に近く、欧州はいまだに試行錯誤です。(15歳から24歳の失業率は、英国で14%、フランスで19%、ドイツで12%)

基本的には、職業訓練を公的な負担で行い、できる限り「即戦力」に近づいてもらい、就職してもらうというのが政策の根幹です。 しかし、数字で見る限り、大きな改善は、欧州では見られていません。特集では、成功例としてオランダの事例をあげていますが、オランダは仕事におけるパート比率(つまり非正規比率)をあげて失業率を下げてます。 こういう解決の仕方もありですが、日本では議論が必要です。

この問題に対する打ち手のイメージは、全くまとまっていません。 
本田由紀教授は、この厳しい状態が続いた若者には、「諦念ともいえる無力感」が漂い、次の活動のための「頑張る」動機さえ調達できなくなってきていると嘆きます。

経済成長が止まった社会の、大きな問題です。 もっと勉強します。

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上司の前では裸踊りの、外務官僚

【外部牽制のない組織は、内向き組織になる 外務省】 AERA 09.2.16

Photo AERAの勝間対談は面白いです。 わずか3ページの企画ですが、もっと読みたいです。
今回は、背任容疑で、国家と係争中の佐藤優氏です。 実はよく知りません、笑。 代表作「国家の罠」も読んでいません。

今回の対談を読む限り、官僚、特にキャリア外務官僚に対する怨念が爆発しています。

外部から全く牽制を受けないので、外務省内部の組織ロジックが、外交官僚の行動原理になる
・公務員とは完全に別の給与体系で、極めて高く、霞が関の中でも独特のポジションで、仕事がしやすく、自らの組織を守ろことが自らを守ることになり、外交官僚は組織に忠実になる
・そういった内向きの組織では、外務省の中での評価が、結局、自分の評価というアイデンティティになってしまうため、とにかく「出世」のためという動機が、他組織より、極めて大きい
・したがって、他者から見ると、驚くような行動がよく見られる
・その時のトップに媚を徹底的に売る行動に出る

・この行動原理が、外交政策に出てしまう
国益について、長期的なスパンで考えるという骨太な政策はなく、組織や政治家の「目先の事情」に大きく影響されてしまう
・だから、外交目標がなく、その場、その場の「つなぎ外交」が、日本の外交。 エクスキューズを積み上げて、事後的に目標を設定していく
・だから、日本は、経済力の割には、外交でのプレゼンスが低い

勝間女史が「自浄作用は、ないんですか?」と突っ込むと、「ないです」とばっさり。
そして、外部からも牽制が起こらないとも言い切ります。

なぜなら、「日本外交で国民は何も困っていないから(困っていると認識していないから)」。
国民の支持なくして、政治家も、伏魔殿に切り込んでいかないということでしょう。

外部からの牽制がない組織は、必ず腐敗するというか、組織内部ロジックが行動原理になり、環境の変化に対応できなくなるという典型でしょうか。 普通、組織は崩壊するのですが、外務省の場合は、構造的に守られているので、しばらくは健在なのでしょう。

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ボランティア活動家に、清貧を求めるな

【ボランティア活動家に清貧を求めるな】 AERA 09.2.9

Photo_2 前回ピックアップした、湯浅勝間対談の後半で、以下のようなやり取りがありました。

湯浅 「ボランティアというと、清貧が求められる。 野宿者を自分の家に連れていけばいいじゃないか、と言われる」
勝間 「湯浅さんが、豪華マンションに住んだら、叩かれるわけですね
湯浅 「反貧困活動は、自分にとって利他の精神でやっているわけではない。 貧困を放置する世の中が嫌だからやっている。 でも、この気持ちが理解されるのは、まだ時間がかかるかな」

そうなんですよね、ボランティアというと、結構ストイックな生活が求められるし、すべてをボランティアに捧げることを求められる風潮があります。 それは無理ですから、求めないでください、笑。 これを求めたら、誰もボランティアできません。

「自分の生活の少しの時間を、社会をよくするために費やす」、「自分のお金の一部を、社会をよくするために、任意で寄付する」、これで十分なはずです。 それ以上を求めるのは、酷です。 「少し動く」、これが尊い活動なんだと思います

多くのヒトの「少し」の積み重ね、積み重なったものを、まとめるコアパーソン(NPO等の有給スタッフ)の組み合わせが、継続するボランティア活動の秘訣だと思います。

「少し」でいいのです。 その「少し」に、「もっと」を求めるのはおかしいで、「少し」だけを非難することもおかしい話です。

貧困者を助ける数時間の活動が終わった後で、プライベートで豪華フレンチディナーというのも、当然ありなのです。 その豪華フレンチディナー代で、貧困者を助けよというのは、大きなお世話。 数時間の活動自体が尊いもので、それで十分なのです。

湯浅氏が、豪華マンションでも全然オッケーだと思います。 もちろん、貧困者をネタに商売して豪華マンションだと、さすがに問題ですが、例えば、親がお金持ちとか、前職がゴールドマンサックスで豪華マンションということであれば、オッケーだと思います。

ボランティアという、他者に貢献するという活動、精神を、そのヒトの生活すべてに求めるのは、酷です。そのヒトの生活の、ほんの一部でも、そういった活動、精神があることが尊いのです。 

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貧困者の本当の苦しみの理解が、セーフティネット政策の第一歩

【貧困者の本当の苦しみ】 AERA 09.2.9

Photo 反貧困の湯浅誠氏と、勝間女史の対談です。
今回の派遣社員問題は、やはり複雑で、争点を整理して話を進めないと、意見がかみ合わなくなってしまいます。

・不況時に会社都合で、合法的に安易にリストラされてしまう、「派遣法の問題」
・そういったリストラにあったヒトも含めて、「貧困」に陥ったヒトを社会的に助ける「セイフティーネットの制度問題」
・そもそも社会が助けるべき「貧困」の定義
「貧困」に陥ったヒトの(苦しみの)心理が理解されないことによる、社会的支援への共感が盛り上がらないこと

と勝手に4点を挙げさせてもらいました。
現在の一般的な報道は、「製造業の派遣社員リストラ→貧困→セーフティーネットの欠陥」という流れに沿って行われています。
「リストラで貧困は確かに可哀想」、「困っているヒトにとって敷居の高かったり、対応が遅い役所の問題も酷い話」、「結局、政治家は会社側の見方だし、役所は仕事が遅い」という世論がベースになっていると思います。 この世論と相互連動しながら、報道は行われていると思います。

しかし、なかなか報道はされないのですが、「でも、今まで稼いだお金は貯金していなかったの?」、「仕事がないとはいうけれど、毎週日曜日の求人折込には、かなりの仕事が募集されている」という感覚も世論にはあって、「困っているヒトを、税金を使って、どんどん助けよう」という流れが、どうも盛りあがりません。 盛り上がるのは、この問題はを契機とした、「政治家・役所バッシング」です。

その流れを、湯浅氏はよくわかっています。 だから、一番訴えたいのは、争点の4番目だと言っています。

・貧困に追い込まれたヒトが、普通のヒトのように、仕事探しができるわけでない
・それくらい、精神的に疲弊している
・貧困が継続しているヒトは、本当に疲弊していて、長い間の「痛み」は、「回復」のために長い時間がかかる
・普通に求職活動をして、普通に前向きに仕事をバリバリするという状態になるまで、「リハビリ期間が必要」という寛容さを持ってもらいたい

という感じで訴えています。 また、貧困者の精神的な悪循環として、「自己責任論で、普通に働けない自分を責める」、社会的支援をもらうことで「二等市民」という劣等感を抱くことをあげています。 働くことが社会性のアイデンティティーであると育てられているので、働かない自分を、どうしても自己否定しまうと言っています。

貧困者独特の精神的悪循環によって、働くことに対する動機付けが、通常のヒトより弱く、それこそが貧困問題で理解されていない部分であり、この部分が理解されないと、貧困を社会的にサポートするという内容が、どうしもずれて議論されてしまうと言っています。

生活保護にしても、99.97%は適正な執行だが、0.03%の不正受給が大きくニュースで取り上げられるので、生活保護の結構な割合が不正受給という印象となり、貧困を支援するという動きが、なかなか盛り上がらないのも問題と言っています。

勝間女史は、「社会的弱者に対する市民の成熟度の問題」とまとめています。

追い詰められたヒトの苦しみ、そこから這い上がろうとしても「過酷な現実」を経験してしまうと、尻ごみしてしまうという当然の帰結。 概念的には、湯浅氏が言っていることを想像することができますが、なかなかしっくりこない部分もあります。

「単に頑張りが足りないだけじゃないの?」、そういった気持ちも、フッとよぎります。
でも、「そうじゃないんだ」と湯浅氏は言います。 

追い詰められたヒトの苦しみを、じっと想像してみましょう。 まずは、そこからなのかもしれません。

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短期の利益を煽ると、リストラが激しくなる

【企業の雇用責任どこまで?】 朝日新聞 09.2.8

「企業の雇用責任はどこまであるのか?」という、テーマで3者が持論を繰り広げています。

小谷野毅 全日本建設運輸連帯労働組合書記長
(組合の意見の代表が、このヒトなのか?という感じ。 ちょっと過激なヒトです)
・従業員を切ることに、経営者が、道義的な責任を感じなくなった
・行政もセーフティーネット設計に失敗(非正社員向けのネットができていない)
・派遣切りをした、(内部留保の厚い)会社がお金を出して、救済基金を作るべき
・会社は社会の公器、簡単にヒトを切ってはいけない

島田晴雄 千葉商科大学長(労働経済学、小泉政権のブレーンのひとり)
・世界規模でコスト競争を迫られている企業にとって、合法の範囲でヒトを切ることは当然
内部留保を雇用維持にあてるのも反対、内部留保は企業の長期的投資のための原資。 雇用維持が長期投資だと判断するかどうかは、経営者が行うべき(それを株主が評価する)
・雇用問題の矛先は企業でなく、政府に向けるべき
・政府の対策がダメなのが、根本的な問題

大坪清 レンゴー社長(派遣社員1000人を、今年4月から正社員化する会社。東証1部上場)
・社員が安心して仕事をすることによって生産性が向上することは間違いない。 安定的に雇用を継続するということは、会社の長期的な利益につながる
・だから、安易に首切りはできない。 短期の利益を負うべきでない

私の意見は、島田さんに近いですし、大坪さんも、ほぼ同様な内容だと思います。

上場企業は、法律の範囲内で、どれだけ利益を出すのか?という目的のためだけに存在します。 もし、これを否定するならば、株式市場という制度自体をひっくり返す必要があります。 現状の制度である限り、企業の対応は仕方ないと思います。

一方で、どれだけ利益を出すのか?という点ですが、短期的、長期的な視点があります。 この視点こそが、議論の分かれるところだと思います。
短期的に、とにかく利益を出せということであるならば、ヒトを切るという選択も仕方ないのですが、長期的により高い利益を出すということであれば、短期的なヒトのリストラの繰り返しは、おそらくNGだと思います。

企業は、やっぱりヒトなんです。 優秀なヒトと、優秀でなくても「実直に」仕事をしていくヒトがチームになって、より高い生産性を生んでいくのです。 現状の付加価値は、資本でなく、ヒトで生まれる部分が圧倒的に大きいのです。
「実直に」仕事をするヒトにとって、「実直に」仕事ができる環境のひとつが、「雇用の安定」であると思います。

だから、長期的な利益(成長)を大事にするならば、大坪さんが言うように「安易に首切りはすべきでない」と思います。 
ただし、そんなことより、来季の利益が大事ということであれば、首切りをして固定費を下げることは必須だと思います。 株式売買をして短期的なリターンを負うヒト、それを煽る証券アナリストや日本経済新聞にとっては、「来期の利益」が大事なので、首切りは当然でしょうという感覚だと思います。

ただ、売上が伸びている時に企業は拡大していくので、売上減の時には、それなりの対応をする必要があります。 それなりの対応とういのも、本当にケースバイケースなので、企業側の、ギリギリの雇用責任を求めるのは、現実的でないと思います。

結局、この雇用問題は、政府側の問題だと思います。 何らかの理由で、仕事にあぶれ、かつ次の仕事に自力でたどり着けないヒトに対して、お金を使って支援すべきなのでしょう。 膨大な金額だとしても、それが政府の仕事だと思います。 大型土木事業をやめれば、1兆くらいの予算は捻出可能です。

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当事者として、原爆の惨状を伝え続けること。 それをリレーすること

【突き動かされたもの ジョー・オダネル】 NHKスペシャル 『米軍カメラマンが見たNAGASAKI』 08.8.7

2 少し前のNHKスペシャルです。 まさに、NHKの存在意義のような番組です。

長崎の原爆(破壊力)記録のために、終戦直後に長崎に駐在した、米軍カメラマンの軌跡です。
軍律を犯して、彼は、被爆直後の長崎の市民をこっそり撮影しました。そして、その写真は、40年以上、個人的に封印されてきたのですが、彼が60歳を超えたところで、その写真をもって、「原爆利用の是非」を問いたいという信念を確立しました。
アメリカの退役軍人からは、大きな反発を買い、日常の生活の平穏も崩れ、困難が続くのですが、信念を突き通し、20年以上の反核運動を行い、85歳で生涯を閉じました。

1 爆心地の光景は、まさに「この世のものとは思えない」惨状で、米軍カメラマン、ジョー・オダネル氏は、衝撃を覚えました。
そして、それ以上に、被爆した日本人、両親が亡くなって、残された子供たちの惨状を見て、言葉を超えた衝撃を覚えます。
彼は、そういった様子を撮影することは軍律違反であることを承知して、その様子を撮影します。

その光景は脳に焼きつき、「夜も眠れない」状態が続きます。
「原爆は、戦争を早期に終結させるために必要なもの。
早期終戦こそが、アメリカ兵士の被害を小さくする」というアメリカ国家の主張、一方で、原爆を投下された、「この世のものとは思えない」日本の惨状。
この結び付けがたい二つの内容に、オダネル氏は心を痛めたのだと思います

その苦悩から逃れるために、彼は写真を40年以上封印し、あわせて彼の記憶・苦悩も封印していました。
しかし、ある日、偶然立ち寄った教会での出来事で、封印が解かれます。

ヒトがヒトを、ためらいなく殺しあうという「戦争」は、いかなる理由でも回避すべきなのか?、その延長上で、核兵器を利用することも、いかなる理由でも回避すべきなのか?

非常に大きな問いです。 「回避すべき」という教育がされています。
しかし、現実は、世界各地で戦争(紛争)が起きていますし、核兵器も山のように存在しています。
戦争は起こっている、核兵器は存在するという事実と、戦争をやっていはいけない、核兵器は利用してはいけないという、人類の希望。

人類の希望は、実は、歴史の経験から引き出されたものです。 あまりに悲惨なことばかりの戦争は、「もう、決して繰り返してはならない」という、当事者たちの強いメッセージです。 後世の人間は、この強いメッセージを、深く頭に刻みこまなければなりません

表面的な言葉の理解でなく、常に頭のどこかにへばりついていて、機会があるごとに、それが強い意識となって呼び起こされるという理解をすること。

そのためには、当事者が「伝える努力」を必死に行うことと、後世の人間が先人のメッセージを真摯に聞くこと、この双方向のコミュニケーションが必要ですし、そのコミュニケーションを意識的に設計するのが、人類の進化、知恵なのだと思います。

オダネル氏は、「当事者として、語らなければならない」と確信したのでしょう。 写真という、非常にインパクトのある題材を持っている以上、それを使って、後世に伝えなければならないと思ったのでしょう。我々は、彼のメッセージを、真摯に受け取り、そして次の世代に語り続ける必要があります。

戦争は「憎しみの連鎖」を簡単に起こします。 オダネル氏の「原爆投下は誤りでなかったか?」という問いは、アメリカの退役軍人の怒りを引き起こしました。 政治的な動きの側面もありますが、退役軍人の中には、日本人に仲間を殺された経験を持つ以上、感情的に反発するのは当然です。
「仲間をやられたらやり返す」というのは、当然の反応で、この繰り返しが「憎しみの連鎖」を引き起こします。 

でも、「原爆投下の判断は、本当に仕方ないのか?」と、オダネル氏は問いました。
軍人でない市民が、広島長崎あわせて34万人死んでいます。(被爆後5年間) 被爆後遺症も残します。(オダネル氏自身、晩年、皮膚がんが全身に転移していました。本人は、爆心地での作業の影響だと信じています)

「原爆の結果は、あまりに酷過ぎる。 戦争という事態を考慮しても、度を超えている」というメッセージは、後世に語り続けるべきものです。 被害国である日本は、もっと強く後世に、世界に語り続けなくてはなりません。 核をもたざるを得ない、政治的現実がある一方、核を使ってないけないと、全世界で強く信じることが必要です。 それが、人類の知恵だと思います。

私は40歳ですが、学校でまったくそういう教育を受けた記憶がありません。 残念なことです。
私は、子供にきちんと伝えていきます。
(彼の写真をまとめた書籍が出ています。 「トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録 ジョーオダネル 小学館」)

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ヒトの愛は、どこまで広がるのか?

【民族対立に見られる「憎しみの連鎖」】 映画 ブラックバードライジング イタリア 2005年

Photo 前回のエントリーに登場するジョーカーのセリフに、以下のようなものがありました。
「ヒトは追い込まれたとき、つまり死にそうになった時に、そのヒトの本質が現れるもの」
(ちなみに、ジョーカーは、追い込まれたヒトが、他人を裏切ってでも、命乞いするシーンが大好き。 なぜなら、ヒトの利己性(自分がすべて)が、土壇場で出てくるから。 本当に、悪い趣味です)

戦争は死と隣り合わせですから、ヒトの本質が出やすい状態です。 ヒトの本質を描くために、戦争という背景を使うのは、映画の定番です。

今回の映画は、イタリア映画「ブラックバードライジング」。 コソボ紛争における、NATO治安部隊のひとつ、イタリア軍の活動が舞台となります。 日本人にはバルカン半島の歴史は、世界史で学ぶ程度で、実はよくわからいのですが、イタリアにとっては、身近な国の紛争なのでしょうか。
コソボ空爆の時は、爆撃機の離陸がイタリアということで、イタリアでは、きっと議論が巻き起こったんだと思います。

映画ですが、駄作です。 前回のダークナイトが大傑作だったゆえに、余計落胆も大きい、笑。 何とか最後まで見ましたが、早送りを結構しています。
娯楽性も、シナリオもダメです。 戦争映画の場合は、戦闘シーンの映像で「魅せ」ますが、ほとんど戦闘シーンはありませんし、あっても、カメラワークは凡庸です。 シナリオも、民族の対立の根深さ、その対立の仲裁に入ることの難しさ、対立によって起こる、人々の日常の悲劇など、モチーフはOKだとしても、その展開方法が非常に浅いです。

民族対立に見られる「憎しみの連鎖」、「憎しみの連鎖」に付け込む「悪意の連鎖」、「悪意の連鎖」によって起こる悲劇が、さらに「憎しみの連鎖」を生むという悪循環を、全く表現できていません。
中途半端に「憎しみの連鎖」を描き、アルバニア人とセルビア人の結婚という、身近な民族共生の幸せが、「憎しみの連鎖」を断ち切るきっかけになるという、能天気な暗示も、中途半端。

「愛は、紛争を止める」という、ナイーブなメッセージです。

確かに、愛は「善意の連鎖」を生むきっかけになるし、「善意の連鎖」のスピードを加速させて、信頼という絆を太くし、社会を安定化させます。
しかし、愛の広がりは、たいてい狭いのです。 せいぜい広がって、親族までです。 社会までには広がらないので、愛は、社会レベルで、「善意の連鎖」を起こすエネルギーになりません。
逆に、グループ単位(親族、地域など)の絆を太くする一方で、排他的な傾向を持たせるので、「身内や友達がやられたら、やり返す」という独善になりやすく、「憎しみの連鎖」を起こす可能性があるのです。

ここに愛の難しさがあります。
狭い範囲の愛は、範囲外に対して排他性を生むので、全体としての「善意の連鎖」を起こしません。 愛は、社会全体に広がっていないと、社会レベルの「善意の連鎖」が起こりません
対象が広がった愛は、愛と言わず、西洋では倫理、日本では道徳と呼ぶのでしょうか?

いずれにせよ、駄作です、笑。

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行政がサポートする、「市民の政策作り」

【住民が主導する行政施策 鳥取県智頭町】 にっぽんの現場 NHK 09.1.31

Photo 鳥取県の智頭町という、人口9000人弱の町の、ある意味、正統派民主主義のチャレンジを特集した番組です。 わずか25分と、あっという間の番組ですが、非常に興味深いものでした。

町長が市民の意見を聞いて、町の運営を行うというのが文字通りの民主主義なのですが、これをベタにやっているのが、その智頭町。 「百人委員会」という住民代表者による委員会で、政策作りを行います。その政策を役所側が検討して、予算案・条例案として3月の議会にかけるという内容です。 その「百人委員会」は、町の経営企画部である、企画財政課が担当・サポートしますから、形式でなく、本当にやろうとしている意気込みを感じます。

平成18年度の決算カードを見ると、普通の過疎の町という感じですが、実質公債費比率が20%弱と、下水道や病院などの特別会計で、結構な借金があるみたいです。 財政破綻のちょい手前の節約モードという状態のようです。

地方自治は二元代表制ですから、町長が独自に市民の意見を聞いて、町運営を行うというのは当然なのですが、ここまでベタにやるのは珍しいです。
行政の多くは、市民の意見というよりは、前年の内容を踏まえて、自分達に都合の良い政策を(議会の顔を見ながら)作りますから、それを引っかき回すような政策案、つまり住民が勝手に提案する政策などは、「いちいち構っていられるかい!」ということです。

智頭町の百人委員会でも、全体の体系を無視した、住民の好き勝手な提案というか、要望的政策案が出てきます。 今までの流れを全く意識しない、拡散した政策案は、役所のスタッフ的には、「いい加減にせい!」という内容だと思います。 いったいどのように取り込んでいくのか、これはこれで3月が楽しみですが、番組は、この辺は全く無視です。

番組は、行財政委員会という、いわゆる行革を提案する委員会だけを追っかけます。 ここでは、どのように行革を行うかということが、住民で検討され、公務員と議員の給与をカットする提案が決定されます。もちろん、公務員も議員も大反対なので、こういった内容は、確かに、内側から出てきません。 内側の人間に都合の悪い政策案が出てくるというのは、住民が政策に関与する、大きなメリットだと思います。

公務員の勤勉手当廃止(年間30万弱)、50歳以上の昇給停止、議員は日当制という内容です。 内容自体は、最近の流行りを取り入れたものです。

この智頭町のチャレンジは、良い面、悪い面があると思います。 良い面は、組織内側から絶対に出てこない、厳しいリストラ案が出てくること。 悪い面は、政策なのか、要望なのか、よくわからない、ピンポイントの政策案(アイデア)が、バラバラと出てきて、余計混乱してしまうこと。
悪い面は、進め方でコントロール可能だと思います。 問題意識を絞り、その問題意識に対応した内容だけ提案するような形にすれば、混乱は小さくなると思います。

このチャレンジはありだと思います。 行政の積極的な情報公開をベースがあり、行政の仕組みを理解していけば、この百人委員会的なものに参加した住民の民主主義意識が覚醒することは間違いないと思います。 議論は紛糾するかもしれませんが、意識の高い住民の皆さんが、行政運営について徹底的に議論することが、良い行政運営の大前提だと思います。

こういった議論をすると、「議会を軽視している」と言う議員さんがいますが、それは二元代表制を誤解しています。 町長・市長の行政側も民意を聞いて政策を作り、一方で議会も独自に民意を聞いて政策を作ったり、決議したりするのが、二元代表制なのです。 二つのサイドの民意をぶつけて検討していくのが、二元代表制、つまり日本の地方自治のルールなのです。

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今の仕事を一生懸命することが、最大の成長機会

【長期的には、結局「志の高さ」 伊丹敬之】 週刊東洋経済 2009.1.17

Photo 一橋の伊丹先生へのインタビューです。 特集が「社会人の勉強法」なのですが、伊丹先生は、「そのテーマ設定自体がおかしいだろ」とバッサリです。 返す刀で、「基本的に取材された内容をひっくり返すヒトはいないから、テーマ設定自体が世の中の流れになってしまう」ので、編集者は、もっと慎重にテーマ設定をしなさいと。 いや、まさにその通り。

そして、伊丹先生にとって、社会人の最大の勉強は、仕事とは別に勉強することでなく、「ひたすら、今の仕事を一生懸命やること」、これしかないと言い切ります
私が思うに、徹底的にやり切って、成功する、失敗するという経験が、成長の圧倒的なリソースであることは間違いなく、どんなに勉強しても、到底追いつけないということだと思います。 だから、勉強法を考える前に、今の仕事を徹底的にやり切れということなんだと思います。 その通りです。 気が引き締まります。

そして、少し話が横にそれますが、名経営者の条件は「志の高さ」だと言い切ります。 
人間の成長、つまり組織・会社の成長は、無駄と有用、効率と非効率の試行錯誤を通して生まれるもので、長期的な成長には、ある程度、回り道が必要であると。 その必要不可欠な回り道を、敢えて通らせるという判断は、「志の高さ」からしか生まれてこないと言います

特に、これだけ短期的な利益、財務諸表の効率性を問われるような時代だと、その長期的な視点を持った経営は本当にやり辛い。 それでも、敢えて「やる」というのは、もう「志の高さ」があるかどうかに尽きると言います。 

そういった本質的な話を無視して、会社に余裕があるのに、短期的な利益のために、「リストラで業績回復」を煽るアナリスト、経済記者は、本当に酷い人達であると。 誰の回しものなのだと。

伊丹先生、切り口が鋭く、素晴らしいです。
私も、今、ここにある仕事に、120%向き合うようにしないと。 反省です。

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省庁会議はすべてリアルタイム動画配信すべし!

【とにかく何でも公開せよ 高橋洋一上杉隆対談】 週刊プレイボーイ 09.1.19

Jpg埋蔵金発掘で有名な、元財務官僚高橋氏は、なんと週刊プレイボーイ誌で連載を抱えております。身内の財務省をバサバサ批判したら、窓際に左遷、去年大学教授に転職。 転職後も、官僚の弊害を追及しまくっています。

その高橋氏は、これまた辛口ジャーナリスト上杉隆氏とつるんで、「第四の権力、ジャーナリズム」をばっさり切り落としています。

まずは、上杉氏。役所発表の内容を、「ほぼそのまま」垂れ流すことが堂々と行われているジャーナリズムを、権力に寄り添う「発表ジャーナリズム」とコケ落としています
その発表ジャーナリズムが成立する前提は、「記者クラブ制度」。 役所の情報アクセス権限を限定することで、情報ギャップをネタに、商売しているあたりが、もう悲しくらいダメダメであると。

高橋氏も、役所は、自分たちに都合のよい情報しか発表しないから、意識しようが、しまいが、結果的にジャーナリズムは役所の広報機関になり下がっていると厳しい指摘です。 同様の構造が、審議会にもあると言っています。

この腐ったジャーナリズムを再生するには、
・記者クラブを役所の中におかず、外に置く
・省庁内の会見は誰でも参加可能
・インターネットで、会見や審議会をリアルタイム配信
と高橋氏が提案していますが、

リアルタイム配信に反対してるのは、「実は記者」という、情けない現実があると上杉氏。

ジャーナリズムも寡占状態なので、実質的な「談合」体制ができてしまっているようです。
しかし、ジャーナリズムというか、テレビジャーナリズムが世論に大きな影響を与えているのは事実。

・どの内容を取り上げるのか
・それを、どのようなトーンで伝えるのか
・どれくらいの頻度で放送するのか

こういったことが、政策実現に大きな影響を与えるという現実がある以上、やはりテレビを含めたジャーナリズムとは、仲良くやることが、政策実現の必須テクニックです。
もちろん、それをすることによって失うものがいっぱいあると思うし、単なる売名行為になり下がる危険もいっぱいあります。 そのバランスをどこまで取れるか、これが結局、政治家、役人の「プロフェッショナリズム」なのかもしれません。

プロは誰か?

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テレビで社会問題を認識する「怖さ」

【救済は遠く 薬害肝炎 終わらない闘い】 日本テレビ NTVドキュメント 08.12.21

Jpg昨年の今頃、血液製剤によるC型肝炎感染被害者を救済する法律が、裁判での判決を超えて、政治的な判断で可決されました。 被害者の代表者がチャーミングなルックスで、語りかけも誠実と、「真面目な弱者が政府にいじめられている」という、わかりやすい構図もあって、マスコミはかなりの量の報道をしました。

普段ほとんどテレビを見ない私でも、薬害肝炎の報道は見ていて、
・会社と国は、血液製剤による感染の可能性および事実を認識しながら、隠蔽し、
・そのため、被害者が拡大した
・にも関わらず、今だに、国と製薬会社はその責任を取ろうとしない
くらいの認識で、テレビを見ていました。

そして、たまたま見たのが、日本テレビの年末のドキュメンタリー。
・感染被害者と国は和解し、救済措置が決定されたが、
・対象者は、血液製剤の投与事実が証明される(過去のカルテがある)ヒトだけ
・投与事実が証明できないヒトが山のようにいて、苦しんでいる人がいる
といった内容でした。

過去の事実認定が難しい場合、申告ベースしかありません。 しかし、その場合、どれくらいの申告者が出てくるのか想像もつかない場合が今回ならば、役所としては、そういう厳しいリクエストを、被害者の気持ちを無視して、やってしまうんだよなぁと感想を持ちました。

そこで、この薬害肝炎をネットで調べてみると、いやいや、とんでもなく複雑な内容に驚きました。テレビで見たものは、本当に、事実のわずかな部分に過ぎないということを痛感しました。

調べれば調べるほど混乱します。 どの辺が複雑かというと、
・薬害の定義、および対象者の定義
ということになります。

今回の裁判および政府による法律も、実は、
・後天性疾患について「フィブリノゲン」と「第9因子製剤」に起因するC型肝炎のみが、薬害と定義され
・薬害による肝炎感染を証明できるヒト(が、救済対象者とする
ということになっています。

となると、実は、
・先天性疾患で該当製剤が投与された人、例えば血友病の患者さんは、C型肝炎になっても対象外
・カルテがなく、投与が証明できない場合も対象外
ということで、テレビはこの2番目の問題を指摘していたものでした。

話を広げてしまうと、薬害自体の定義、つまり副作用とどう違うのかという、本質的な問題もあって、少々かじった程度では、混乱してしまうくらい複雑です。
いずれにせよ、テレビを通して認識した内容は、非常に小さく、単純なものに過ぎないということです。

テレビを通した認識の危うさを痛感しました。 しかし、テレビという何千万のヒトが視聴するメディアのパワーも痛感します。 これだけテレビが取り上げなければ、市民は薬害C型肝炎をほとんど認知せず、政府の落ち度を非難しなかったでしょう。 つまり、テレビで巻き起こった民意がなければ、おそらく政府による救済立法はなく、ずるずると裁判で争っていたような気がします。

社会問題を解決するには、テレビというメディアを通して「民意を盛り上げる」、つまり問題を認知し、おおまかに内容を理解するということが必須です。 たくさんの人が問題を認識せずに、問題は解決できません。 
しかし、テレビというメディアを通した認識は、結構「浅い理解」だったり、時に「偏った理解」だったりします。 それが、「テレビ政治」の問題だと言われています。

今回の薬害肝炎について、たまたま調べてみたら、自分自身もこのテレビの弊害に陥っていたことを痛感しました。 

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視聴率至上主義と、報道の美学のバランスは可能か?

TVは視聴率がすべてなので、一定のルールのもとで、知恵の競い合いが起こり、結果的に番組が面白くなるという、良い意味での競争のメリットがあります。しかし、やはり常に「度を超す」こともあって、いたずらに視聴者の好奇心や不安を煽って、視聴率を稼ごうとします

今回のニュースも、その「度を超す」事例です。
以下、朝日新聞(asahi.com)からの引用です。

TBSが昼の情報番組「ピンポン!」で、トヨタ自動車の業績悪化で大幅な税収減となる愛知県田原市について「道路は穴が開いても放置」と誤った内容を伝え、市の抗議を受けて謝罪していたことが分かった。
 田原市にはトヨタの工場があり、今年度に約70億円を見込んでいた法人市民税の大半を失う見通し。田原市の財政を取り上げた12日の番組で、アナウンサーが「道路は穴が開いても放置、河川ははんらんするかもしれない」「小中学校の耐震化工事ができなくなり、市内の小中学生は心配」とコメントした。
 これに対し、市は「(道路や河川を含め)公共施設などの維持管理に関する予算は的確に確保する」「小中学校の校舎のうち98.4%が耐震化工事を完了済み。残る棟も設計は完了し、耐震化率は全国でもトップレベル」とTBSに文書で抗議するとともに、市のホームページで「バラエティー仕立てで放映されたことは遺憾」と反論した。
 TBSは「取材に甘さがあった」と市に電話で謝罪し、どう対応するかを両者で話し合っている。

番組ディレクターの確信犯でアナウンサーにそう話をさせたのか、アナウンサーがアドリブで受けを狙ったのか。 いずれにせよ、「インパクトがあれば、何でもOK」というメンタリティーがあるからこその結果で、プロ意識が全くない、ダメダメなTBS社員です。

報道は「事実は何か?」という部分を突き詰めて、問題提起をするのが本質ですが、「事実は何か?」を突き詰めるのは難しく、また状況も複雑で、断定的な結論も言いにくいという、テレビ的には、わかりにくい番組になりかねないという構造的な問題があります。
TVで報道を行う難しさです。 わかりにくいのは視聴者的にも、詰まらないので、視聴率が上がらないという可能性もあり、どうしても、わかりやすい、エンターテイメント的な報道番組になってしまうものです。
つまり、「事実は何か?」を突き詰めるのではなく、嘘にならない範囲で、視聴者のニーズや感情に直結する番組を作る形になってしまいます。

その構造に流されてしまうのは、単なるサラリーマンで、ジャーナリズムを担っているというプロ意識があるならば、「事実は何か?」と、「視聴率を取る」という二律背反のギリギリを追求するという姿勢が必要です。
でも、こういったプロ意識は、視聴率競争がすべての世界では必要ないのかもしれません。

結局、「プロ意識なんて、そんなの関係ねぇ」と視聴率だけの亡者なのか、「大きな影響のあるTV番組であるからこそ、プロ意識はギリギリ保つ」と踏ん張るのか、仕事に対する姿勢の持ち方だと思います。
社会の中の報道という仕事の美学みたいなものだと思いますが、こういった美学をトップが持ち続けないと、現場は、やっぱり視聴率至上主義にならざるを得ないと思います。

たぶん、TBSの報道部門、編成部門、社長がダメダメなのかもしれません。この傾向が加速すると、ポピュリズム、つまり、市民の「目先の損得勘定」「不安感情」で、世論が決まってしまう流れができやすくなってしまいます。
マスコミには、ぜひ踏ん張ってもらいたいです。

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身近な幸せばかり考えていないで、たまには国を考えろ!

大いなる陰謀】 米国映画 2007年

Lions_for_lambs ロバートレッドフォード監督の、政治色の強い映画です。 こういう映画がたくさん出てくるというのは、アメリカの特徴でもあり、強みなのでしょうか。

ストーリーは、3つのモチーフで組み立てられています。
ひとつは、優秀だけれども、ニヒリズムに逃避して、結果としてくすぶっている大学生と、その可能性を引き出そうと努力する教授のやり取り。
二つ目は、野心たっぷりの上院議員が、独善的な対テロ戦争の意義と戦略を、ジャーナリストに語り、そのネタをどう扱うべきか、苦悩するジャーナリスト。
三つ目は、「国のために」具体的に何かをすべしと、軍に志願したマイノリティ米国人学生が、対テロ戦争に参戦し、実際の戦地で(トラブルで)孤軍奮闘するシーン。

監督は、「結論を出さない」と言っていますが、
・若いヒトが、身近な幸せで人生を語るのでなく、身近な幸せを成り立たせている「公共=国=世界」にも目を向けて、人生を考えてもらいたいし、それは可能のはずだ
・「国」の暴走をチェックするジャーナリストが、エンターテイメント一色のマスコミに埋没し、本来のジャーナリズムの機能を失っている。 しかし、それを危惧しているジャーナリストも、まだいっぱいいるはず
・「国のため」と、悲劇的に、命をなくしている兵士がいっぱいいる事実は大きく、戦地にいっていない我々は、思考を止めるのではなく、何らかの意見を持つべき
というニュアンスを感じます。

自分の生活が成立している、大きな部分、つまり「国」「世界」に目を向けよ、というメッセージで映画が成立し、それを見に行く観客がたくさんいるという事実は、アメリカの民度はやはり高いのでしょうか。
セリフも多いし、動きも少ないし、エンターテイメント的には本当に厳しい映画のような気がしますが。

「国のために」というと、日本の場合は、どうしても第二次世界大戦の、無謀な国家動員に繋がってしまうので、なかなか堂々と語れないのが辛いですが、何千万、何億人の人々がそれなりのルールに従って、将来に不安を持たず暮らしていけるのは、やっぱり、国というシステムがまわっているからで、そのシステムの回し方について、議論し合うというのが、民主主義であったりするわけです。

成熟社会では、あまり国のシステムを意識しなくても、そこそこシステムが回ってしまうので、システムを気にするよりも、身近な幸せや仕事のことを考えるというのが合理的なので、仕方ないことですが、システムは制度疲労を起こしたり、暴走したりするので、何らかのチェック・牽制、軌道修正が必要なのです。それを皆でやるのが民主主義なのですが、成熟社会では、その手間を皆がかけたがらないので、一部のエリートが、それを見越したうえで、ストイックに頑張らないといけません

というと、普通の方をちょっとバカにしている感じかなぁ? そのようなつもりはないんだけどね。

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50万円の車を選ぶか、2000万の車を選ぶか、それとも乗らないか

【ベンツは格好良いか?】 須田伸エッセイ  日経ビジネスオンライン 2008.11.25

ベンツの車としてのスタイルの話でなく、ベンツを乗るというライフスタイルは格好良いか?という話に関するエッセイです。

車としての機能以上の価値を越えて、「バカ高い」ベンツを所有するということの背景には、「それぐらいバカ高いものを買える=社会的に成功している=人間として優れている」という、三段論法があって、それがほとんどのヒトの暗黙の認識(吉本隆明的に言えば、共同幻想)なので、ベンツがバカ高くても売れるという時代がありましたし、今もその傾向は残っています。

しかし、その共通認識がジワジワっと、共通でなくなってきているのでは?という投げかけで始まるエッセイです。 その証拠に、ベンツのCMで、わざわざ「メルセデスとともに歩む人生という選択をしたのだ」というメッセージが流れていたと。 そんなこと、前は言わずもがなという内容ではなかったかと。

現状の経済は、そういった人間の「見栄」で成立しています。 つまり、食糧やエネルギーという必要不可欠な消費よりも、「見栄」に対する消費の方が圧倒的に大きいのが現実です。
「見栄」への飽くなき活動に対して、「煩悩」と切り捨てた仏教の教えも空しく、また「清貧」という対抗思想も圧倒的力不足で、日本では「見栄」を煽るべく、「格好良いヒトのライフスタイル、そして、そのスタイルに必須のアイテム、笑」という、直接、間接のメッセージがあふれています。

しかし、見栄は皆が共通認識で持っていないと成立しないところに難しさがあります。 「ベンツに乗るというのはどういうことか」という共通認識がなければ、見栄を張りようがありません。 須田氏が指摘している通り、その共通認識が共通でなくなってきているのは間違いないような気がします。 

社会的成功のアピールは、相変わらず見栄の根幹ですが、ベンツがそのシンボルかどうかは、だんだん怪しくなってきていると思います。 逆に、極端ですが、常識からかけ離れた、バカ高いベンツを選択するというのは、社会的成功の「品」を落としてしまうという、認識もあるのかもしれません。

もちろん、市場調査をすれば、まだ圧倒的に、ベンツのイメージはポジティブでしょう。 しかし、ジワジワっと凋落傾向にあるのは、間違いないような気がしますし、それはベンツのブランディング活動が失敗しているというよりは、豊かの弊害に何となく気付いてきたヒトの、新しい感性の方向性のような気がします。

見栄というブラックホールのエネルギーは無限で、それがヒトを突き動かしてきて、全体として、経済的な成長が起こったということは紛れもない事実です。 
見栄を「格好良い、素敵、オシャレ、魅力的」というポジティブな価値に置き換え、経済的な成長を「人類の進歩」と定義してきたのが、近代です。
そういった大きな歴史の流れの、小さな変化が、ベンツのCMなのでしょうか?

それとも、単にベンツが、見栄のアイテムとして落ちぶれただけで、レクサス風プリウスがそれに代わるという、単なる見栄アイテムの変遷に過ぎないのでしょうか?

小さな変化が起きているような気がしますが、大きな変化は、大きなきっかけがなければ起こらないでしょう。 大きなきっかけは、温暖化による異常気象が原因の食糧危機なのか? 
さて、さて、どうなることか。

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幸せについて、中学生と向き合う本

【幸せに生きるために、社会がしっかり回るように】 宮台真司「14歳からの社会学」

社会学者、宮台先生による14歳向けの、自分と向き合うための本です。 彼の文章はいつも難解で、理解するのに本当に苦労するのですが、今回の本は、わかりやすく書かれています。 しかし、内容は難解というか、深いです。 たくさんの後悔(笑)をしてきた大人が読んで、「うーん、確かにそういうことだなぁ」と納得してしまう内容です。

7つの章に分かれて、自分のこと、社会のこと、性愛のこと、仕事のこと、学ぶこと、死のことなどの本質を宮台流に解説しています。 社会学という学問のセオリーに沿って、様々な価値観や思い込みが、ある前提があって成立しており、その前提は時代とともに変化するので、どんな価値観も相対的に過ぎないと説明しています。 その相対的なものに振り回されるのではなく、その前提を見通して、自分が納得する価値観を見出そうと言っている気がします。年長者特有の、圧倒的な経験量に基づく、上から目線ではありません。

一番最初の章で、人間の行動メカニズムの本質を説明しています。 「(試行錯誤的な)行動する」→「(その行動に対して)承認を得る」→「(自分は意味ある存在だという)尊厳を得る」→「行動する」という循環があると言います。

この循環を通して、行動の源泉となる「尊厳」を厚くしていき、(失敗や期待外れに対して)タフな人間になって、どこでも自由に振舞えることが、まずは大事と言います。

特に、失敗や期待はずれに遭遇すると、次の行動に対して臆病になりがちですが、「失敗しても大丈夫」「失敗なんて関係ない」という承認をもらえると、「大丈夫なんだ。次は頑張ろう」という尊厳を獲得して、次の意欲が引き出されると言います。

承認と尊厳はある日突然得るというよりは、小さいものの積み重ねに近いもので、子供のうちから、親や周りの人間から承認をもらって、尊厳を獲得していくということが、最初の段階では大事であると言います。
そして、一人で社会に出て行く段階で、また同じように、周りの人間から社会的な承認をもらって、尊厳を獲得していくということが大事だと言います。

昔は、承認の糧(ネタ)が単純だったし、全員が似たようなイメージを持っていました。(社会的な)承認として、典型的なものは「よい学校、よい会社、(モノの)豊かな生活」で、そのアイテムとして、東大、三菱商事、クラウン(車)があった。 全員が似たようなイメージを持っていたので、よい学校、よい会社、豊かな生活(を象徴するモノ)があれば、承認→尊厳というメカニズムがありました。

しかし、豊かな生活が当たり前になって、よい学校、よい会社も「幸せには繋がらないかもしれない」と認識されてくると、次は「格好いい生活、格好いい自分」という自己イメージが承認の糧になってきたのですが、何が「格好いい」のか、イメージがバラバラで、なかなか他者からの承認が得にくいとうい事態になってきたというのが、今の時代だそうです。

「承認→尊厳」を獲得するために、必死になっているというのが、今の若いヒト。(大人もそうだと思いますが、笑) そのような自分と、そうなっている自分の環境をまず自覚して、その上で自分の幸せを考えてみて、そしてどう社会に関与するか、模索してみようというのが、14歳の社会学の中身のようです。
「社会とは、こういうものだ」、「人生とはこういうものだ」、「人間とはこういうものだ」と、歴史上の様々な出来事を都合よく引用して、自分の価値観を主張する「社会論、人生論」とは、完全に一線を隔てた、良書なのか、難書なのか。

大人のダメな部分を「頻繁に」見ている14歳の中学生には、「大人になる」ということはどう移るのか? 「皆と仲良く」「仕事は一生懸命」「ルールは守れ」「愛は永遠」という「キレイごと」を、彼らはどう思っているのか?

まだ自我が安定していないのに、不安定な現実が、彼らを襲います。 そんな彼らに、不安定な現実の「メカニズム」を、優しく教えようとしているのが、この本です。 優しく書いていますが、やっぱり難しいです。 
14歳がひとりで読むこともありですが、大人と一緒に授業で大真面目に語り合うというのも効果的かもしれません。 道徳の教科書という感じでしょうか。

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まず、書くということ、動くということ

【「考え方」の考え方】 大和書房

Photo_2  指南役という、企画屋グループによる、クリエイティブな考え方をするための、ノウハウ本です。

いろいろ書いてありますが、私に強烈に刺さった内容は、

・とりあえず書き始める、そうすれば、アイデアは降臨する
(書き始めなければ、アイデアは絶対に降臨しない)
・アイデアは、既存の知識の組み合わせに過ぎない
(雑多な知識の組み合わせが、新しいアイデアを生む)
・雑多に、深く好奇心をささげ、知識をストックせよ、そして、書け。 書けば、雑多な知識が繋がり、アイデアが生まれる

まさに、その通りだと思います。  まさに、脳の構造と一緒です。

・雑多な対象への好奇心、そこからのインプット。
・とにかく書くというアウトプットが、たくさんのインプットが芸術的に繋がって、新しいものを生み出す機会を作る

実感できる内容です。
このブログも、何となくのイメージから書き始めて、書く(打つ)うちに、どんどん進んでいきます。 仕事も同じで、始めると、どんどん進んでいく。

著者は、その「書き始める」ということができるかどうかが大事と言っています。 そう、それが難しい、笑。

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親から虐待を受けた子供は、社会が育てるべきか?

【弱者の、負の連鎖 児童養護施設でのケンカ】 朝日新聞 夕刊 208.11.20

朝日の夕刊の小さな記事ですが、児童養護施設で働くスタッフの全国研修会(の分科会)における、衝撃的な報告を報道しています。

・東京の48の児童養護施設に対するアンケート調査(昨年10月実施)
・対象はわずか1週間にしぼったが、なんと、子供間の身体的暴力は24施設であり、件数は99件
・特定の子供が暴力を受けているらしい? (いじめ?)
・この1年に、子供から脅しを経験した職員は6割以上、暴力は4割
・入所児童の3~4人のうち1人は、職員への暴力経験あり
・(調査者)おそらく、これは氷山の一角

短い記事なので、質問だらけの内容です。 まさに今日20日に報告された内容らしく、ネットにも報告書らしきものは見当たりません。 かなり推測ベースの内容になってしまいますが、いずれにせよ、なんか凄い事態になっている感じです。

実は、1か月前くらいのNHK「クローズアップ現代」でも、児童養護施設が定員パンパンというか、あふれている状態で、大変な状況だという番組がありました。(10月14日)
増加している理由は、家庭内の児童虐待(あるいは育児放棄)らしく、番組は、単なる保護でなく、心のケアが求められているとまとめています。(確か、入所している4割近い子供が児童虐待と言っていたかなぁ?)

記事の最後には、学者のコメントがのっていて、「発達障害の子供、児童虐待の子供など、対応が難しくなる一方で、定員ギリギリというか、超える状態になっていて、(親になり切れない)職員のケアも限界に近づいている。 精神的に安定していない児童が過密状態で、施設は厳しい状況だ」とのこと。 ギスギスした施設ということでしょうか。

児童養護施設には、約3万人が暮らしているらしく、その4割が児童虐待による入所だとすると、1.2万人。これだけの子供が、親から虐待を受けていたということか?
親からの精神的支え(愛情)をもらうことなく育った子供は、精神的な土台(自己信頼、他者への思いやり)が欠如すると言われます。 そのような子供は、やっぱり早いうちに、リハビリしなければならないでしょう。

でも、大変な作業です。 土台が壊れてしまった以上、施設の職員が、親以上の愛情で接しないと、土台の回復は難しいかもしれません。 マンツーマン状態です。 
1.2万人の子供に、1.2万人×1.5=1.8万人の職員(職員は休みも必要)、ひとり800万円のコストだとして、1640億円。 (現実的には、マンツーマンは無理で、6人に1人の職員。 対応も限界があり、里親制度で、子供と向き合うとしています。 しかし、里親登録者が少ないらしい、そりゃそうだと思う)

不幸な子供1.2万人に、1640億円。  こっちの子供も不幸だから、何とかしてくれ!と、別のところからも声が上がりそうで、予算はいくらあっても足りません。 虐待を受けた彼らには、政治力がありませんから、政治家が、自らの価値観で対処しなくては、何も変わりません。 議員の皆さん、どうお考えでしょうか? 

真面目に向き合うと、政治って、本当に難しい。

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高齢者の「足」確保は、行政の仕事か?

【廃止ラッシュの路線バス】 クローズアップ現在 2008.11.17

マイカーの普及がどんどん進み、路線バス利用者が激減。当然経営は成立しなくなり、民間バス会社は路線バスから撤退。 しかし、マイカーのない高齢者世帯にとっては、路線バスは、絶対に必要な生活の足。 高齢者の足を守れと、自治体は補助金を出して路線バスを最低限維持してきましたが、その補助金にもメスが入るようになり、いよいよ完全撤退が相次ぐようになったとの報道番組です。

高齢者に、最低限の生活の足を提供するのは、自治体の役目ということで、乗合タクシーなどの試行錯誤が行われていますが、なかなか利用者が伸びず、行政の負担が減らない苦しみを伝えています。

弱者を救え!、でも、どこまで救うのか?という、政治のテーマの具体例です。

高齢者は、元気である限り、弱者ではありませんが、その弱弱しい感じと、老人を敬う道徳感も手伝って、一般的なイメージとしては、弱者という認識です。
だから、車のない高齢者世帯へ、足を提供するのは、「行政の役割」という認識が前提としあります。

個人的には、タクシーを使うとか、買物は通販を使うとかで、自助で何とか頑張れというのが原則だと思います。 タクシーはお金がかかりますが、遠くに住んでいる高齢者が、町の中心(病院、スーパーなど)にやってくる交通費を、税金で負担するということに、どれだけの人が納得するでしょうか。 便利な町から離れて暮らすという、構造的な不便さは、受け入れるべきです。 

ただし、最低限は担保するということなんですが、その最低限って何? これこそが、永遠のテーマであり、生活保障でも、限りなく続く議論です。 結論がでないなりに、皆で「話し合わない」といけない内容です。 (中学校の「よのなか科」で話し合ってもらいたいです)

手紙が1週間に1回しか届かないのは、最低限の生活以下なのか。
(移動時間がかかり、民間が断ってしまうので)介護ヘルパーの在宅サービスを受けられないのは、最低限の生活以下なのか。
病院や診療所に行くのに、2時間かかるのは、最低限の生活以下なのか。

難しいです。 政治家は、逃げないで、正面から議論してもらいたいです。 全然、票にはなりませんが。
テレビも、たまには正面から番組作ってもらいたいです。 全然、視聴率になりませんが。

そして、問題が複雑になるのは、その高齢者が「足腰が悪くなって、歩くのが厳しい」時です。 明らかに弱者です。 基本は身内が助けるのですが、高齢者世帯の場合、身内も遠くにしかいません。

こういう高齢者に、「自助で頑張れ」と言えるでしょうか。 
うーん、結論がでませんね。

しかし、それにしても、解説として登場した首都大学の教授のコメントが、あまりにも大雑把で、「おいおい」という感じです。 「ニーズをつかんで、路線計画を作るべし」、「病院やスクールバスを、高齢者移動用に利用する」、「高齢者に必要な施設を一カ所に集める町作りを行う」。 これって、素人の私でも、1時間くらいのブレストで出てくるアイデアなんですけど。 アイデア自体よりも、その具体的な実行計画に価値があるパターンで、こういう場合は、前向きな自治体と一緒に、実行計画を作る「活動する学者」でないと、社会的に全く意義がありません。 首都大学の学者さんは、どうなんでしょうね。 地方の路線バスの研究を、首都大学でやっているというあたりが、なんか、ダメダメのような気がしますが、笑。 あなたの給与で、乗合タクシーが一路線、成立するぞ、笑。

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どうして下流は太るのか?

【三浦展 下流は太る】 SPA 2008.3.6

Photo 下流社会の三浦氏が、下流は太ると断定です。
彼の下流ロジックは、「人生全般への意欲の低いヒトは、低所得になりやすく、それがずっと継続する」ということですが、彼は、さらに踏み込んで、「下流社会に属するヒトは、見た目も意識しないし、簡単な調理済み食品を、バランスを考えずに、好きなだけ食べる傾向が強いので、太る」と言い切ります。

個人的には、彼は嫌いです。 社会学的な分析と言いつつも、「下流に落ちると悲惨だぞ」と煽るメッセージが強く、また「下流のお前はダメだ」というダメだしの副作用があることに対して無自覚という部分が嫌いです。 どうして「そうなったのか」、それで「社会は良いのか」という、社会性が全く欠如して、「そんな下流社会で、どんなマーケティングをして儲けるか?」と、ひたすら営利主義です。
(最近は、少し社会的なことも言いだし始めましたが)

もちろん、彼は学者ではないので、彼のやっていることは、完全にOKです。 ただ、感情的に嫌いというだけです。

その彼の、「下流はダメダメ」の次の矢は、「下流はデブ」。
楽ちんな食事を提供する会社の誘惑に逆らえず、その楽ちんな食事を「山ほど」食べてしまい、太ると。 楽ちんな食事は、高カロリーだし、バランスは悪いし、継続するといいことはないけれど、「安くて、味が濃いからおいしくて、手軽」という安易さに打ち勝つことができずに、食べ続けてしまうのが下流だと。

人間には、反する二つのエネルギーのベクトルがあると思います。

善玉(ヒトのためになりたい)⇔悪玉(自分のハッピーがすべて)
利他(相手を考える)⇔利己(自分のことばかり考える)
性善説(自然の状態で、ヒトは良いことをする)⇔性悪説(自然の状態では、悪いことをする)
向上心⇔怠惰心

これは事実で、この二つのエネルギーのどちらを自分のエネルギーの中心にするのか?というのが、人生なんだと思います。

ヒトは悪いことをしてしまう、ヒトは怠けてしまうという習性に、どれだけ抵抗できるか。

この習性に抵抗するエンジンが、「意思」であり、「意思」は自らが内在的に作り上げるものと、外からの圧力(罰則)で生まれるものがありますが、結局、長期で続くのは、前者です。

この「意思」を作り出す「きっかけ」を失ってしまうと、永遠に「怠けること」のバランスの強い人生になってしまい、それが「働く意欲」を低下させ、所得を落とし、厳しい生活を強いられる構造が生まれてしまいます。

この「きっかけ」は、決してひとつというわけでなく、いろいろなことの積み重ねだと思います。 そして、それは子供のうちに、できる限り「積み重ねておく」ことが大事なような気がします。

その「きっかけ」とは何か? これが教育なんだと思います。 これから、少しずつ思うことを書いていきます。

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毎日、店に行って、20歳を観察せよ

【ギルフィー 宮内社長 トレンドの中で個性を出す】 ファッション販売 2008年12月

Gilfy 109系で躍進している「ギルフィー」の宮内社長へのインタビュー記事です。
まだ29歳という若さで、既に64億円の売上を上げました。 わずか6年です。

この社長、見た目は、アパレル野郎ですが、インタビューの内容が、いけています。全体的に謙虚なイメージです。

ポイントを挙げると、
最初は「ファッションにおいて個性を出す」ことの努力をしていたが、「トレンドの中で個性を出す」に軌道修正してから、売上が一気に伸び始めた
・「トレンド」は現場に行ってよく観察しないと、次を予測できない。 毎日、店に行く
・お客様は、ディスプレイの商品か、店の何となくの雰囲気にひかれて、店に入る。 そこに「受け入れらる」個性がないと、見向きもされない。 その個性作りが、すべての始まり
・その個性が確立されてから、トレンドを織り交ぜていく
・その個性作りは、内装に始まって、スタッフの印象も大きな役割を演じる。 この個性は一貫して継続すべし。 そこにトレンドのフレーバーを混ぜるべき

・企業経営とクリエーティブの両立は難しい状態になってきた。 経営はプロに来てもらうことも考えている
・頑張っているスタッフも活躍できる会社を作り上げたい

内容自体は当然の内容ですが、29歳が急成長に奢ることなく、語る内容としたならば、やはり重いです。

ギルフィーは、109系ですから、ターゲットは20歳前後です。 いわゆる、アパレル好きで、消費も旺盛で、しかしブランドに対するロイヤルティーが移ろいやすいという、なかなか難しいターゲットです。 彼女たちの気持ちをつかむことこそが、この商売のツボですが、それが難しく、多くの会社がチャレンジしては、撤退していきます。

商品や店舗の個性と、世の中の「格好よさ」感、「かわいい」感が絶妙にマッチして、それが、雑誌媒体などで後押ししてもらえるという循環ができて、20億を超えるビジネスになっていきます。

ギルフィーは、マーケティング理論ではありませんが、109系のフォロワー(普段は雑誌を見ていて、たまに渋谷に出てきてお買いもの)を完全に取り込んでいるので、高い売上になっていますが、その手前のイノベーター、アーリーアダプターをつかんだところに、凄さがあります。

どうやってつかんだのでしょうか? 自分の感覚が全く通用しない、20歳前後の気持ちをどうやってつかむのでしょうか?
それは「現場」を見て、ひたすら「観察」することだと、宮内社長は言います。

政治も同じ。 自分とは違う生活をしているヒトの気持ちをつかむには、とにかく現場に行く。そして観察する。 これができるか、できないかで大きく違います。

現場に出るのは、面倒ですし、時間もかかる。 でも発見は大きい。
「事件は現場で起こっている」ではありませんが、「事実は、現場にある」

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リーダーは、ウルトラポジティブであれ!

【ウルトラポジティブ】 プロフェッショナル NHK 2008.10.28

Nojiriテルモの米国法人、人工心臓開発メーカー社長の、野尻知里さんの、仕事のやり方、生き様を描いた番組です。

社長なので、「リーダー」として、どのように仕事をすべきか、という点に絞られた内容です。 社長自身は、女性で、見た目、非常に小柄なので、見た目は「リーダー」っぽくないのですが、その仕事振りは、まさに社長で、優しさ、明るさという女性の良さがたくさん出た社長という感じです。 

彼女の、社長としてのモットーは、
・いつでもチアリーダーであれ
・ウルトラポジティブ
・夢(目標)が社員をひきつける、だから、夢を掲げる社長についてくる
・逆境は、バネにして、乗り越えろ

メモをとりながら見たわけではないので、まとめというよりは、自分にとって記憶に残ったところという形になってしまうのですが、「確かにそうなだなぁ」ということばかりで、非常に勉強になりました。

特に「ウルトラポジティブ」。
会社を運営していれば、必ずトラブルというか、不条理や、想定外の事態は、(起きないように段取りをするのですが)しょっちゅう起こるのが常です。 結構、厳しいトラブルもあったりして、これにいちいち凹んでいては、リーダー失格ということだと思います。

凹むと、やっぱり思考回路は止まります。 リーダーが思考停止すると、事態は進展しません。というか、悪化します。 だから、凹むのは瞬間で、次には、またいつものように、思考を回転させなければなりません。凹むのは瞬間であるべしということだと思います。

そして、マイナスの雰囲気は伝播します。だから、リーダーは、マイナスの雰囲気を絶対に作ってはいけないということだと思います。 常にポジティブ、自ら明るく、そして、組織の皆が、「楽しく活動できる」雰囲気を作れ!ということです。 

リーダーも人間ですから、感情で動き、しんどい時は凹むはずですが、それを理性で克服すべしということで、やはりリーダーはタフでなければなりません。

組織の求心力は、この「ポジティブなリーダー」、「リーダーが掲げる夢」ということは、普遍的なものようです。 米国で活躍する、日本人社長の経験からも、同様なメッセージでした。

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別の視点で見た、光市母子殺害事件

【光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~】 フジテレビ 2008.10.25

Hikaribosi地方局が制作したドキュメンタリーです。 この殺害事件を、被告の弁護側の視点で、見つめた番組です。

被害者の旦那さんの、、「情熱的だけれど、非常に落ち着いた感じで、自らの感情を、しっかりした言葉で伝える」姿勢が、あまりにインパクト強すぎで、それに引きずられて、ただでさえ、被害者の方に感情移入しがちの中、さらに被害者の感情にのめり込んでしまう事件でした。 私もその一人です。 マスコミも、その旦那さんのインパクトが絵になるので、集中的に報道しました。

事件の理解は、完全にテレビからの情報で、「残虐な少年が、自らの性欲のために、母子を殺害した。少年は、反省も少なく、どうしようもない。 そんな少年でも、死刑でなく、無期懲役という判決。 心情的には許されないのでは?」、「弁護団は、死刑廃止という、個人的な主義主張のために、この裁判を利用している」というような理解でした。 他の方もそうではないでしょうか?

しかし、このドキュメンタリーを見て、この認識が非常に偏ったものであるということを認識させられました。番組から伝えられた事実は、

・最高裁で少年の証言が変わったのは、弁護士が変わってから
・それまでの弁護士は、「少年に殺意があった」という前提で、弁護を組み立てていたが、
・新しい弁護士になって、少年から「殺意はなかった」という証言が出てきた
・警察の一方的な厳しい取り調べ、弁護側の事務的な対応などで、心を閉ざしていた少年が、新しい弁護士になって、気持ちを語るようになったので、弁護側の戦術が変わった
・少年は、父親の暴力がひどい家庭で育っており、最愛の母親も暴力を受け、少年が12歳の時に自殺。 少年は自殺した母親を直接見ている。 それ以後、精神的なバランスを崩している(精神鑑定医も、この背景と、精神構造を重視している)
・その少年が、新しい弁護士が登場してから、前向きに自分の気持ちを吐露し始め、被害者に対して謝罪を行うようになってきた(弁護士と、少年の手紙から。 それまでは、一切なかった)
・その他、事件そのものの事実、争点なども初めて知った事実がありますが、ここでは割愛します

こういった事実を知ると、事件が全く違うものに感じられます。
もちろん、被害者には、加害者にどんな事情があるにせよ、加害者に対して許し難い感情があるということだと思いますが、我々第三者には、驚くような事実です。

この番組を見て痛感しました。

・ひとつの視点(今回は被害者の視点)で、情報を取ると、事実を完全に見誤る
・テレビは複数の視点を提供しない、特に情緒的に盛り上がる内容については、多数派の情緒の視点で報道してします(視聴率の論理)
・テレビを見ている方も、自らの情緒的な感情が、テレビから流される情報で、さらに肯定されるので、思い込みを一層強くする
・認識が固定化され、その前提で、他の内容も見てしまう (今回は、少年の弁護団は本当に酷いなぁと思ってしまう)

テレビの恐ろしい力を認識しました。
もちろん、今回のドキュメンタリーの内容自体も、ひとつの視点に過ぎず、事実のすべてではないのですが、事実のひとつです。 複数の視点で見ると、モノの見え方は全然変わってきます。

このテレビの恐ろしい力を利用するのか、あるいは、この恐ろしい力を減退化させるべく努力をするのか?
政治家の基本スタンスとして、大きな違いだと思います。
個人的には、絶対に後者です。

ちなみに番組自体は、少年の弁護団の活動を通して、「世論の影響を受ける裁判」という制度の限界を伝えようとしたのかもしれませんが、それは45分ではちと難しすぎたかもしれません。 しかし、光市母子殺害事件の別の視点を十分に提供できています。 マスコミとして、立派な仕事をしています。 しかし、この番組が深夜3時に放映されるというあたりが、フジテレビ全体は「しょぼいマスコミ」という評価になってしまいます。


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障害者を人質に、福祉事業は、ダメですよ

【障害者を人質に、福祉事業は、ダメですよ】 ヤマト福祉財団(初代)理事長 故小倉昌男氏

スワンベーカリーというパン屋さんをご存知ですか?
障害者の働き場所として、そして、少しでも高い給与を得られるような商売として、クロネコヤマトの創業者、故小倉氏が創業したパン屋チェーンです。 アンデルセン、リトルマーメードを運営するパン屋さんもバックアップしています。

HPによると、現在20店強。 なんと、地元柏にもあったんですねぇ。 知らなかった、恥。

障害者を雇用を義務とする法律がありますが、全障害者が対象になっているわけではありません。 特に知的障害者は、なかなか雇用が難しい側面もあり、福祉法人等が行政から補助金をもらいながら、雇用(働く場所)を創出しているのが現実です。
しかし、その働きの給与が、月で数千円から一万円という、とんでもない低さが普通であり、その酷さに怒りを覚えて、故小倉氏が商売を起こしたのがスワンベーカリーの始まりだそうです。
スワンベーカリー障害者従業員の7割以上が知的障害者だそうです。 目指せ月給10万円だそうです。

その小倉氏は、生前、(補助金をもらって)障害者向けに雇用施設を運営しているスタッフに向けて、厳しい注文をしていました。

・施設を運営している健常者は、普通に給与をもらってハッピーだが、障害者は全然ハッピーじゃない事実に対して、どう向き合うのか?
・ハッピーになるように努力するのが、健常者の仕事ではないか?
・障害者を人質にとって、自分たちの生活を確保していると言われても仕方ないのでは?
・障害者に生きがいを与えていない施設(社会福祉法人)とは、どうして存在が正当化されるのか?
・障害者を隔離することが仕事なのか?、働く喜びと自律の道を探すのが仕事ではないのか?

赤坂の日本財団の1階にスワンベーカリーがあります。 日本財団に行った時は、できる限り、ここでパンを食べようと思っています。 高くないし、おいしいです。
小倉氏のライフワークをつぶさぬように、消費者として、少しでも応援しないと。 本当に小さなサポートで、お恥ずかしい限りですが。

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若い人の特権は、元気、元気、元気

親野智可等 教育相談】 ベネッセ教育情報サイト

メルマガで有名になった現役先生→教育評論家の親野先生の教育相談です。 第25回目は、自分の子供(小学3年生)の担任となった22歳の新任の先生が心配でしょうがないし、あまりに若過ぎてどう話を相談していいのか困ったとの相談です。

親野先生は、ずばり、「心配の必要なし」と断言です。

若い先生は、確かに経験がないので技術的には未熟。 しかし、それを補う情熱=一生懸命さを持っているのが普通なので、この情熱で何とかカバーできる部分は多いと。

それに、体力があるから子供たちと遊びまくって、そしてそのまま授業に突入という、ベテランが絶対にできない特技もあると。 だから、心配するな。 子供から見れば、ノリがいいので、大好きな先生であることが多いし、子供たちも元気になる傾向があるので、若い先生の良さはいっぱいあると。

すべてにあてはまる話ですよね。 経験はないけれど、情熱がある。 これが若さの良さ悪さです。

若い政治家の皆さん、既得権を情熱だけでぶっ壊してください。 論理的には少々おかしくても、主張が正しければ、情熱だけで十分ぶっ壊せます。

民主党の30代の議員に10名以上に出会っていますが、情熱たっぷりと、薄めの割合は、ざっくり3:7くらいかなぁ。 はじけるような情熱は、残念ながら出会っておりませんが。

 

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