【突き動かされたもの ジョー・オダネル】 NHKスペシャル 『米軍カメラマンが見たNAGASAKI』 08.8.7
少し前のNHKスペシャルです。 まさに、NHKの存在意義のような番組です。
長崎の原爆(破壊力)記録のために、終戦直後に長崎に駐在した、米軍カメラマンの軌跡です。
軍律を犯して、彼は、被爆直後の長崎の市民をこっそり撮影しました。そして、その写真は、40年以上、個人的に封印されてきたのですが、彼が60歳を超えたところで、その写真をもって、「原爆利用の是非」を問いたいという信念を確立しました。
アメリカの退役軍人からは、大きな反発を買い、日常の生活の平穏も崩れ、困難が続くのですが、信念を突き通し、20年以上の反核運動を行い、85歳で生涯を閉じました。
爆心地の光景は、まさに「この世のものとは思えない」惨状で、米軍カメラマン、ジョー・オダネル氏は、衝撃を覚えました。
そして、それ以上に、被爆した日本人、両親が亡くなって、残された子供たちの惨状を見て、言葉を超えた衝撃を覚えます。
彼は、そういった様子を撮影することは軍律違反であることを承知して、その様子を撮影します。
その光景は脳に焼きつき、「夜も眠れない」状態が続きます。
「原爆は、戦争を早期に終結させるために必要なもの。
早期終戦こそが、アメリカ兵士の被害を小さくする」というアメリカ国家の主張、一方で、原爆を投下された、「この世のものとは思えない」日本の惨状。
この結び付けがたい二つの内容に、オダネル氏は心を痛めたのだと思います。
その苦悩から逃れるために、彼は写真を40年以上封印し、あわせて彼の記憶・苦悩も封印していました。
しかし、ある日、偶然立ち寄った教会での出来事で、封印が解かれます。
ヒトがヒトを、ためらいなく殺しあうという「戦争」は、いかなる理由でも回避すべきなのか?、その延長上で、核兵器を利用することも、いかなる理由でも回避すべきなのか?
非常に大きな問いです。 「回避すべき」という教育がされています。
しかし、現実は、世界各地で戦争(紛争)が起きていますし、核兵器も山のように存在しています。
戦争は起こっている、核兵器は存在するという事実と、戦争をやっていはいけない、核兵器は利用してはいけないという、人類の希望。
人類の希望は、実は、歴史の経験から引き出されたものです。 あまりに悲惨なことばかりの戦争は、「もう、決して繰り返してはならない」という、当事者たちの強いメッセージです。 後世の人間は、この強いメッセージを、深く頭に刻みこまなければなりません
表面的な言葉の理解でなく、常に頭のどこかにへばりついていて、機会があるごとに、それが強い意識となって呼び起こされるという理解をすること。
そのためには、当事者が「伝える努力」を必死に行うことと、後世の人間が先人のメッセージを真摯に聞くこと、この双方向のコミュニケーションが必要ですし、そのコミュニケーションを意識的に設計するのが、人類の進化、知恵なのだと思います。
オダネル氏は、「当事者として、語らなければならない」と確信したのでしょう。 写真という、非常にインパクトのある題材を持っている以上、それを使って、後世に伝えなければならないと思ったのでしょう。我々は、彼のメッセージを、真摯に受け取り、そして次の世代に語り続ける必要があります。
戦争は「憎しみの連鎖」を簡単に起こします。 オダネル氏の「原爆投下は誤りでなかったか?」という問いは、アメリカの退役軍人の怒りを引き起こしました。 政治的な動きの側面もありますが、退役軍人の中には、日本人に仲間を殺された経験を持つ以上、感情的に反発するのは当然です。
「仲間をやられたらやり返す」というのは、当然の反応で、この繰り返しが「憎しみの連鎖」を引き起こします。
でも、「原爆投下の判断は、本当に仕方ないのか?」と、オダネル氏は問いました。
軍人でない市民が、広島長崎あわせて34万人死んでいます。(被爆後5年間) 被爆後遺症も残します。(オダネル氏自身、晩年、皮膚がんが全身に転移していました。本人は、爆心地での作業の影響だと信じています)
「原爆の結果は、あまりに酷過ぎる。 戦争という事態を考慮しても、度を超えている」というメッセージは、後世に語り続けるべきものです。 被害国である日本は、もっと強く後世に、世界に語り続けなくてはなりません。 核をもたざるを得ない、政治的現実がある一方、核を使ってないけないと、全世界で強く信じることが必要です。 それが、人類の知恵だと思います。
私は40歳ですが、学校でまったくそういう教育を受けた記憶がありません。 残念なことです。
私は、子供にきちんと伝えていきます。
(彼の写真をまとめた書籍が出ています。 「トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録 ジョーオダネル 小学館」)
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